鷺草(サギソウ)

00/11/08

風が吹き 鷺草のみな飛ぶが如   高浜 虚子
鷺草のおくれ咲きしも翔けそろふ  水原秋桜子





2000年8月24日午前11時06分撮影 
ところ 土屋薬局 駐車場にて
撮影者 土屋幸太郎



鷺草(サギソウ)  ラン科  学名:Habenaria radiata 花期:夏

湿地に生え,地中に球根を作る多年草。

7 月頃に 2,30 センチの花茎を伸ばし,先端に 2,3 個の花をつける。

花の形が、白鷺の飛んでいるところに似ているというので、この名前がついている。





この写真は、今年(2000年)の8月24日に撮影したものです。

毎年 母が鷺草を栽培して、とても上手に咲かせています。

私の母は、植物をとても愛しているので、土屋薬局の周りは、お花でいっぱいです。

これから、秋から冬にかけては、店内にお花や観葉植物を移動させますので、
商品よりも 「植物一番!」の世界になってしまいます。

不思議なもので、お花や生き物に興味がある人は、
この素晴らしい 自然の神秘を感じる鷺草を見ては誉めてくれますが、
まったく興味が無い人は、自分が座っている隣に咲いていても 目もくれません。

私も 以前は、「まったく興味が無い人」だったのですが、
最近は お花や夜空、お月さま、青空、大地を渡る鳥、風など自然現象に感心を寄せています。

今もそうですが、大体 世の中が 「IT革命」 「インターネット」などと言っていますが、
このPCの色も写真の色も、自然の美しさには適(かな)わないでしょう。

東京に住んでいるころは、アスファルト、高層ビル、人人(今でも人がいっぱいは苦手)、
満員電車の通勤、地下鉄、など自然とは 程遠い生活を送っていました。

現在は、山形の田舎で、お花を見て、紅葉狩りをし、温泉に入る という夢のような暮らしです。

帰省するとき、山形駅に降りる乗客のみなさまは、みんなニコニコして降りてきますが、
きっと こういうこともあると思います。

(もっとも、人に干渉されるのは嫌!という友人たちは、都会生活に満足していますが。。)





撮影 8月24日午前11時22分



実は、今回こそは、「ニキビ」や「アトピー」 はてまた 「腰痛」 「肩こり」 などの
読者の方に役立つ ほんとの意味での 「中国漢方通信」にしようと考えていました。

ホームページでサイトを管理していると、「ヤフー登録大作戦!」とか 「インターネットで商売上手」
「これからはネット販売だ!」 「アクセス向上!委員会」 などといっぱい目にしますし、
現に 電子メールでの勧誘も来ます。

私も 一時は、ホームページで 「無店舗販売だ!」 「これからは、インターネットだ!」
と真剣に考えていた時期もありましたが、今は違います。

ネットを見ないでも、元気で 楽しく 有意義に暮らしている人は たくさんいますし、
インターネットで経営だ! というのも あまり真実味がないようです。

昼間は店頭で 漢方相談や処方箋の服薬指導や調剤、
正しい指導によるOTC販売(普通に買える薬のこと)などをきちんとやったうえで、
夜は 一人で時間を見つけて、
黙々と更新をしている日々なので (今日は 新プロレス団体 ノアを見てきましたけど)、
だからこそ 「土屋薬局 中国漢方通信」 は、自分が興味がある話題で、なるべく 漢方に添った話を
と、心がけています。

サイトの更新が、自分にとっての癒しであり、興味が続くようにしていきたいのです。

このサイトは、企業系のサイトですが、
販売を目的とせず、いざ困ったときに 
「あ、そうだ。土屋薬局に聞いてみよう!」と 信用と信頼を得るのを目的にしています。

ですから、「薬局のサイトなんだけど、このようなサイトが一つくらいあってもいいだろう」
と自分に言い聞かせています。

(困ってるときは、出来るだけ力になるよう努力してますので、お気軽にメールくださいね)


寒い目にあって散々苦労をして、こんな雪の研究なんかをしても、
さてそれが一体何かの役に立つのかといわれれば、本当のところはまだ自分にも何ら確信はない。
しかし面白いことは随分面白いと自分では思っている。
世の中には面白くさえもないのも沢山あるのだから、
こんな研究も一つ位はあっても良いだろうと自ら慰めている次第である。

中谷宇吉郎随筆集 雪雑記(昭和十二年十二月一日) より




撮影 8月25日 午後12時35分



そのような内輪の話をしながら、(恥ずかしいです)、鷺草をテーマにしているのですが、
これも正直いって、面白がって 散々と写真を撮ったのは良いのですが、
困ったことには 鷺草は 「観賞用」であって、薬草ではありません。

いつもの 大塚敬節先生の本を見ても、薬草の本を調べても
一つも載っていませんでした。

ボツにしようとしていた写真たちです。

ところが、最近は 加賀の 「中谷宇吉郎 雪の科学館」に行ったのを機会に、
寝る前には 「中谷宇吉郎」の本を読んでます。

昨夜はある一説を読みまして、「そうだよね、うんうん」と思い、
当初の予定の「ニキビ」のテーマから、一転して 「鷺草」にすることに決定していまいました。

薬用でもない、漢方でもない、ハーブでもない、
「観賞用」の 「鷺草」。

でも、人々は その姿に 自然の神秘を感じ、畏怖し、美しさを共有するのですから、
「こころ」の健康に立派に役立っていると思うのです。

実際に、こんな花は不思議ですよね。





撮影 8月25日午後2時31分


学校から帰ると、よく夕飯前に、奥の暗い六畳の仏壇の間で、老人たちの御まいりの座につかせられた。
燈明(とうみょう)の光がゆらぐことに、仏壇の中の仏様の光背(こうはい)が鈍く金色にゆれた。
ぼんやりとその光に見入りながら、遠い遠い昔、まだ星雲すらもなかった頃の宇宙創成の日を
頭の中に描いてみる癖がいつの間にかついた。
本統に何物もない虚空(こくう)に、眼に見えない力の渦巻があって、
その廻る速さがだんだん速くなって行く。
するとその中心のあたりからほの白く瓦斯状の物質が生まれて来る。
そういう夢と老人の読経(どっきょう)の声とがもつれ合って、
いつの間にか、生まれたばかりの星雲の姿が、
ぼんやりと眼に見えて来るのであった。



今の科学精神などという流儀から言えば、とんでもない教育を受けたものである。
生活の中に科学をとり入れるようなことも、全く縁のない話であった。
そして学校では実物を完全に離れた文字だけの理科を教わり、
家へ帰っては 「三国志」と 「西遊記」とに凝っていた。
たまさか新しい科学の知識を授けられれば、
それは 「断片的な科学知識」 と  「出来上がった理論の外面」だけであった。
それらは 「西遊記」と 仏説寓話(ぐうわ)とで養われた荒唐な少年の日の夢に、
益々非科学のの拍車をかけるような結果に陥ってしまった。
科学者にでもなろうというのだったら、典型的な悪い教育を受けたものである。



ところがこの頃になって考えてみると、こういう少年の日の反科学的な教育が、
自分のその後の科学にとって、そうひどく邪魔になったとは思われない。
そういう天邪鬼(あまのじゃく)な考え方をするから何時まで経っても一人前の科学者になれないのだと言われれば、
それまでの話である。



中略


自分はその後ずっと森を見ているというわけではない。
しかしそういう言葉があることだけは、忘れないでいる。
戦前、日本の科学は世界の第一線に伍(ご)したということがよく言われた。
それは嘘(うそ)であるが、
世界の科学の進歩にほぼ踵(きびす)を接して追従して行けるくらいのところまでは進歩していた。
しかし後進国の悲しさには、どうしてもその研究態度が、木を見るというよりも、
皮か葉の一部を見るような傾向に走りやすかったのは致方(したしかた)ないことであった。
そして終戦後、日本の国が戦前のような条件で研究することが出来なくなった今日、
なお皮の一部を調べる学者を養成するような科学教育策が、
惰性的に採られているのではないかという気もする。



そういうことを言うと、折角子供たちの科学的なものの考え方を啓発しようと努力されている文部省の方たちや、
科学精神の涵養(かんよう)に立派な普及書を出しておられる先生方に、
礼を失するかの如く誤解されるかもしれない。
しかしそれは全くの誤解であって、科学精神を涵養(かんよう)したり、
幼いうちからものごとを科学的に考察する癖をつけたりすることが、もし出来るならば、
それに越したことはない。
しかし私にはそれだけで科学教育の問題が全面解決したとは言えないような気がするだけである。



科学の本質には此処(ここ)では触れないにしても、本統の科学というものは、
自然に対する純真な驚異の念から出発すべきものである。



不思議を解決するばかりが科学ではなく、
平凡な世界の中に不思議を感ずることも科学の重要な要素であろう。
不思議を解決方は、指導の方法も考えられるし、現在科学教育として採り上げらているいろいろな案は、
結局この方に属するものが多いようである。
ところが不思議を感じさせる方は、なかなかむつかしい。



中谷宇吉郎随筆集 簪(かんざし)を挿した蛇(へび) (昭和二十一年十二月一日) より





撮影 8月25日午後3時17分



科学の本質には此処(ここ)では触れないにしても、本統の科学というものは、
自然に対する純真な驚異の念から出発すべきものである。

という一説を読みながら、 「そうだ!今度のテーマは 美しくて 不思議な 鷺草(サギソウ)にしよう!」
と感慨に耽りながら、夢の中に突入した次第でした。

薬草でないから、紹介しないのは 鷺草が可哀想です。

鷺の姿を真似れば、ひょっとしたら 鳥や犬、猫たちに食べられないかもしれませんし、
雛鳥と間違え 鳥たちが舞い降りて 栄養になるようなものを与えてくるかもしれません。

何より、毎年 この花が咲くたびに、自然界の不思議さを感じざぜるにはえられません。





編集後記

鷺草(サギソウ)の写真を、
もう一度、
よーくご覧下さい。

撮影時間が記入されていますね。

これは二日間にわたり
鷺草の花が開花する瞬間を克明に追ったものです。

あなたが目を離しているうちに、
あ!
と思っているうちに咲いています。

蕾(つぼみ)が開いてくると思ったら、
30分間くらいで花になります。

今宵 あなたの夢のなか
鷺が舞い降りてくるかもしれません。





2003年9月8日追記…トップ画像を飾った写真です。下のコメントもその時のものです。



我が家の鷺草(サギソウ)が咲きました。冷夏のために、今年は2週間遅れの開花です。鳥が飛んでいるかのようですね(03/09/8撮影)


鷺草観察日記」もご覧になって頂きますと望外の喜びです。06/09/04追記