墨田の花火

01/7/17


梅雨が明けぬまま、いきなりの猛暑となっている。


もくもくと立ち昇る入道雲が、山の峰々の空高く見え、
蝉(セミ)の声や、蛙(カエル)の声も こだまする。

雀(スズメ)の雛(ヒナ)たちは、梅雨上がりの路上のアスファルトにできた水溜りで、
水遊びをしている。


心が 海へ山へと 向かう季節。




2001年7月5日撮影。
撮影場所:土屋薬局店内
撮影者:土屋幸太郎
「墨田の花火」



昨日、私は 日中は 中医学の試験の勉強をしていた。

秋には、中国政府が認定する 「国際中医師」という、資格を取るために、
少しずつ 暇をみながら 亀のように本を読んでいる。

さて、そうは言うものの、せっかくの休みの日に 夏の一日に
ずっと家の中に居たら、悔しくて涙がこぼれてくる。


午後の灼熱が ほとぼりを覚まそうとする 午後5時前に家を出る。


映画が見たい。




今、このホームページを作成している最中にも、雷鳴がなっているが、
昨日 映画を見る前に 腹ごしらえしようと うどん屋に入いろうとした瞬間にも、
空が 割れ、雷鳴が 鳴り響いた。


山形で このような豪雨と、雷光の後の、雷鳴は初めての経験だった。


私は 雲の上の 風神や雷神のことなど空想にふけっていた。


そのうどん屋さんから、道路を隔てたところに、スーパーがあるのだが、
買い物客も 外に出られないままに、空を見上げている。


私の席の後ろでは、日本酒を楽しそうに飲みながら、
雷を見ては 喜んでいるお客さんがいた。


「お客さん、こんな雨じゃ 外に出られまんよ。 もっとゆっくり飲んでいったらどうですか?」


確かにそうだ。

雷に打たれたら 大変だろうと、マスターの話し声に 私もうなずいた。


「これで、梅雨も終わりですよ。梅雨の最後には、こんな大雨と雷が鳴るんですよ」



梅雨のお別れは、雷と豪雨。





映画は、雷が落ちたので 音声しかならず、しばらく映写機から画像が流れてこないために、
予定の時間より 10分間ほど 開始が遅れた。


映画を見ながら、1時間遅れで始まる 「2001年 宇宙の旅 2001: a space odyssey」が気になった。

スタンリー・キューブリックは、結局は スピルバーグが監督した 「A.I.」にしろ、死ぬ気はなかった。

「この映画が本当に成功したのかどうかを知るには、2001年になっていないとわからないだろう」


私たちは、キューブリックが夢にみた、2001年に生きている。


さて、その映画を 見続けていると、
「つまらなかったら、この映画を途中で止めて、「2001年 宇宙の旅」へ移動しよう」と考えていた
自分が恥ずかしくなった。





1999年 中国映画 「山の郵便配達」


舞台は 80年代初頭の、中国湖南省西部の山中。

地上の楽園、ユートピアの理想郷として知られる 「桃源郷」が このあたりであるらしい。


初老を迎え、長年の郵便配達の仕事を終えた一人の男と、
その仕事を 父から引き継いだ一人の息子の 「父と子」の 静かな、そして心にせまる物語である。


父は、もう20年以上は、郵便配達の仕事をしている。

なんだ、たかが郵便配達の映画ではないか!との声も聞こえそうだが、
この郵便配達の仕事は 大変だ。


自分の家で、山中に点在する 少数民族の村々へ 自分の足で
2泊3日のコースで 120キロの道のりを 巡回していくのだ。

父は、昔 仕事の途中に 山道でケガをした1人の女性と出会い、そして結婚した。

今は、その妻が 家から 最後の仕事なる父と 父からの仕事を受け継ぐ息子、
そして 「次男坊」 と呼ばれる飼い犬を見送るのだ。


父は 最期の仕事納めとして、息子を 村や山道で出会う人たちに
「これから、自分の息子がくるから、よろしく。安心してくれ」 と語りかけながら、
先頭を歩く息子を見守りながら、次男坊と一緒についていく。




父は、長年 郵便配達のきつい仕事をしていたので、
家は留守がちで、いつも不在で 自分が息子に認められているか 不安だった。


息子は、自分が父に愛されているかが 不安だった。


今回、父が郵便配達の仕事を息子に引き継いだのは、
あるとき 支局長が父と一緒に この山間部を歩き、この仕事の大変さに驚き、
「長い間、ご苦労だった」と 勇退を勧めたのだ。


父と子の二人は、郵便配達の仕事をとおし、初めて一緒に同じ時間を過ごした。


父は、山道での道の譲り方や、歩くコース、村の情報などを教え、
この 責任のある 重要な社会的使命をもった 仕事を息子に受け渡していく。


道の途中や 村々で さまざま出会いや、別れを通し、
父は この郵便配達という仕事の大切さ、また 人々への思いやりを 最後の仕事として、息子へ伝えていくのだ。





○尾根

山々が幾重にも重なる 雄大な景色。

尾根づたいに歩き続ける 父と息子と次男坊。


リュックにぶら下げたラジオから流れる歌と、コップの揺れる音だけが響いている。

つまらなそうに歩いている息子。

見下ろせば 一本の道を車が走って行く。


息子 「車で走れる道があるのにな」

父 「郵便の道は 車の道とは違う」

息子 「人家もない道を歩く必要あるの?」

父 「でも歩くしかないのだ。バスでは郵便配達の役に立たない」

息子 「まず試してみたら?」

父 「バスが来るのを待つなんて ごめんだ」

息子 「バスの時間に合わせればいい」

父 「不正確なバスより 足の方が正確だ」

息子 「思い込みだよ」

父 「道は足で歩け。楽をしようと思っても いい事はない」

息子 「そうは言っていない。ヘリの時代でも 相変わらず歩いて配達するの?」


父、息子のリュックからラジオを外して スイッチを切る。

あたりは静まり返り、黙々と歩く 2人の後ろ姿。

(「山の郵便配達」 岩波ホールのパンフレットより、引用させて頂きました。ありがとうございます)





「山の郵便配達」を見ながら、私は 心が熱い感動で いっぱいになりました。


中国のきれいな田舎の景色も良いし、
父と息子が、「お前、煙草を吸うようになったのか!知らなかった」 と嬉しそうに 
自分のキセルを 息子に手渡すシーン。


また、大きな水車が回る川を 息子が父を背負って渡るところや、
二人で 一緒に旅の疲れを癒すために、樽のお湯へ足を浸す場面など、
印象深いです。



これが 私といえば、いつも近所に行くにも すぐ車に乗り、
たまに新幹線、飛行機と スピードの速いものばかりで、私は 何かを見失っているのかもしれません。


車に乗ると、景色は、ほとんど前方だけしか見えず、すぐに後ろに消えていきます。

そういえば、この前 久しぶりに自転車に乗ったけど、あのスピードは良かったな。

景色が 自分と溶け合うかのように、ゆっくりと流れていくんですよね。

あら、ここのお花はきれいだなあ! とか、考える余裕があるんですね。


「山の郵便配達」は、父と息子が 犬の次男坊も含めて お互いを思いやりながら
歩いていくことが 素晴らしいのだと思います。


「道は 自分の足で歩いていこう!」





実は、今回の漢方コラム 「墨田の花火」は、前回の漢方コラム 第34話 「アジサイ」の後編となります。

この 「墨田の花火」という アジサイの品種が あまりにも きれいなので、
ぜひ 「アジサイ」に入れたい! と思っていたのですが、
アルミニウムや公害の話などで いっぱい いっぱいに なってしまいましたので、
ぜんぜん この素敵な画像を入れるスペースがありませんでした。


「アジサイ」には、このような 「墨田の花火」のような、夢のある品種も あるんだよ。

と伝えたかったので、今回 こうして作成しています。


実際に、「墨田の花火」のネーミングどおりに、まるで 花火が大空に開いているようでは ありませんか!


(今回の漢方コラムでは、寄り道をしてきましたが、
時間がありましたら いつかは 「山の郵便配達」を見てくださいね。きっと 「名作」になって、永久に残ることでしょう)






ドンドン。 

ヒューン。

ドンドン。

パチパチパチ。

ドーン。

ヒューー、ドーン。


一足早いですが、「墨田の花火」で 花火を上げましょう!


私は、神輿の会に入っています。


大石田(おおしだ)の祭りでは、神輿の上に 花火が上がります。




ドッコイ! ドッコイ!

ドッコイ! ドッコイ!

ソリャ! ソリャ!

元気がねーぞ!

ドッコイ! ドッコイ!




甚句(じんく)を歌いながら、神輿を担いでいると
花火が大空を埋め尽くす。

最上川に 花火の陰影が浮かんでは
波に溶けていく。



ヒューン、ドンドン!

ドン!

ドドン! 

ドン!

パチパチパチパチパチ。



夏は、花火に祭りに楽しいものですね。


(今回の漢方コラム 「墨田の花火」は、夜空に花火を上げたつもりでした。。)

(うまく上がったかな? 失敗だったかな?)