りんご

若木開拓の歴史

03/11/09




日時:03/10/09
撮影者:土屋幸太郎
場所:若木(おさなぎ)


りんごの収穫の最盛期を迎えることを知らせるニュースが多くなってきました。

さくらんぼの話題ほどではありませんが、
りんごは、「果樹王国」山形では重要な地位を占めると思っています。


秋の青空に、りんごの赤い実がたわわに生っています。

その光景は、胸に響き 実に気持ちの良いものです。


昼休みにジョギングをしていると、
ものの10分間ほどで、りんご畑が見えてきます。

アダムとイブではありませんが、
りんご畑に出会い、りんごを見えていると、
「人類創生」または「文化」を感じます。




アダムとイブが食べた「禁断の果実」は、はたして りんごだったのか?

ニュートンは、りんごが落ちるのを観察して、
「万有引力の法則」を発見したのか?


そのようなことを考えながら、走っていると、
過去から 今現在までの先人たちの歴史の重みも感じるのです。


ここ神町(じんまち)、若木(おさなぎ)は、苦労のうえ松林を切り開き、
開拓したところです。

乱川(みだれがわ)の扇状地ですから、
水はけがよく 田んぼには向きませんし、
井戸を掘っても なかなか水がでてきません。


では、ここで私の小学校のころの社会科研究発表紙から、
「若木開拓の歴史」を一部紹介しましょう。





「社会科研究発表紙」 昭和55年度小学校 東根小中教育研究会社会化部会より


若木開拓団の歴史


@前書き


私たちは神町に住んでいる。

けれども、神町の歴史やむかしの開拓のようすは、
私もよく分からないし、知っている人も少ないと思います。


私たちが、りっぱに生きていくために、
おぼえておかなければならないことが たくさんあると思います。


たとえば、「昔は、水を使うのに若木では、あまり水が出ないので大切に使ったこと。最初に顔を洗い、その水でこんどは体を洗った。その次に ぞうきん水に使った。最後に、植木や果樹にかける」というような話を聞いてわかりました。


でも、今の時代はコックをひねれば、すぐに水が出てくる。このように時代の流れにそって、なんでもちがってきた今、神町の歴史や、開拓などをふり返ることもいいなあ…と思って「若木の歴史」という題にしました。


A若木開拓の歴史年表
年代 主な出来事
昭和10年(5月) 若木開拓がきまった。
昭和11年 土地買収開始(反当 50円)
昭和12年(4月) この地へ入植。
斉藤徳衛門宅で合宿訓練。
20日間伐採訓練。
事務所を新田集会所にして借りる。
昭和12年(5月) 脱落者を残して、本採用となる。
昭和13年(4月) ポツリポツリと山形県で建設の住宅に入る。
りんご苗 配分仮植。
昭和14年(4月) 果樹苗植そろそろ始まる。
昭和20年(8月) 戦争終わる。
昭和21年(8月) 陸軍施設のため、23戸移転。
昭和23年(10月) 若木共同選果始まる(県内で初めて)
昭和26年(1月) 動力噴霧器 若木へ初めて入る。
組合取引銀行 神町へ設置。
昭和27年(10月) 水道若木へ初めて入る。
昭和28年(10月) 若木山へりんご記念碑除幕
昭和29年(8月) 東根町外5ヶ村合併、大きな東根町になる。
昭和30年(4月) 神町保育所完成。
昭和33年(1月) 神町へスピードスプレヤー登場する。
東根市制施行。
昭和35年(1月) 山形県果実出荷条例出る。
第10回定例総会において、
若木果樹農業共同組合として出発すべく
決議される。
昭和36年(4月) 若木果樹農業共同組合発足。
昭和39年(3月)
      (5月)
スピードスプレヤー入魂式。
選果場落成式。
昭和42年(4月) 入植記念碑建立
昭和47年(11月) 東海林 泰氏の胸像、若木山公園に立つ。
昭和50年(4月) 若木農協落成。
昭和52年(4月)
      (6月)
入植40周年記念式典、若木農協で盛大に挙行
東海林 泰氏死亡。(77才)
米国産さくらんぼ輸入解禁阻止運動。


B開拓当時の生活(聞いてきたこと)


開拓は、昭和12年4月20日から始まりました、

いまの新田公民館が集会所になっていて、
緊急の場合は ここに集まっていろいろと相談したそうです。

いま、りんごやさくらんぼの木が立ち並ぶ果樹園は、
開拓前には、一面の松林だったそうです。

また、開拓前の人口は現在の四分の一ほどでした。


開拓で一番苦労したのは、「水」だったそうです。

神町の地形は、100mもほってやっと水が出るくらい地下水が低いため、
水の便が悪く そのため、おふろは1週間から2週間に一度というのが普通だったそうです。

おふろが熱い時など、うめる水がなく困ったそうです。


小さな子供のいる家では、おしめの洗たくで ますます大変だったそうです。

水は、朝早くくみに行き一回運ぶには、30分はかかったそうです。

なんどもなんども往復しなくてはならなかったそうです。

大切に運んできた水は、最初は顔を洗うのに使い、
次にそうじ用、最後には作物へと とても大切に使ったそうです。

このように、水が不足していたので どうしても不潔になりやすく、
服などは、いまの難民のように汚れていたそうです。


開拓作業は、まず木を切って そのあと残った根を掘りだします。

その松の根を1本掘りだすのに、火薬を使っても3日も日数がかかったそうです。

木のくずは、リヤカーにのせて運び炭にして売ったそうです。

昔のことで、機械などはなくすべて手作業。

たて岡女学校(現在のたて岡高校)婦人会の人たちが勤労奉仕に来てくれたそうです。


満州開拓者で 「開拓の親分」といわれた 加藤完治先生が神町に指導に来てくれたそうです。

この開拓が成功し、いまのような果樹園ができたのは、
開拓者の努力はもちろんですが、
多くの人たちが手をかしてくれたからだと思いました。


また、開拓者にみんなで協力しあう心、強い団結力があり、
最後までやり通すねばり強い気持ちがあったからだろうと自ら開拓に参加した
武田若木組合長さんは いっていました。


15年間、映画もしばいも見ず、どこへも出かけず開拓にうちこんだ女の人もいるのです。

すごい!と思います。

家は、一戸当たり30aの土地に県からお金をかりて建てたそうです。


開拓当時、8ヶ月ぐらいまでの小さな子は、
わらであんだ入れものに入れて、
半日も家の中に置いていたそうです。

こうするしか方法がなく子供がかわいそうだったといっていました。


子供が歩けるようになると、おんぶして畑につれて行き、
牛車にむしろをかけて日かげを作り、その中に子供を置いて働いたそうです。


5才位になると、もうジャガイモ堀りなどを手伝ったそうです。

小学生の子供は、夏休みなどは毎日草とり、りんごのふくろがけなどの手伝いで、
勉強したくてもひまがなく、またひまをみつけて勉強などするとしかられたそうです。

組合長さんは、当時の子供と比べると、いまの子供はうーんと幸せだといっていました。


開拓をしてすぐ植えた作物は稲です。

けれども、あまりにも水はけのよい土地なので、
これは失敗してしまいました。

それで果樹を植えようということになり、
さくらんぼ(ナポレオン、さとうにしき) りんご(紅玉、国光、あさひ) もも(大久保)を植えたそうです。


植えてから実がなるまでは大根、うり、すいか、ジャガイモなどの野菜を植え東京の方へ出荷して、
お金を得たそうです。

りんごが初めてとれたのは18年、出荷できるようになったのは23年、
それまでの10年間は、一番苦しい時代だったと思います。



これほどまでに苦労して開拓した土地なのに、
いとも簡単に国から土地を取り上げられたことがあります。

それは、米軍が進駐してきて いまの自衛隊が拡張された時です。

あれほど くやしかったことはないと皆んなが口をそろえていいます。


こんなところにも戦争が影響しているとは思いませんでした。


以下略します。




神町小学校の校歌にも、若木開拓の歴史が歌われています。


神町小学校校歌


若木原の草分けて そそいだ汗の尊さを

たわわに実る果樹園の くれないの実に しのびつつ

汲もうよ 豊かな 知識の泉

ああ われらわれら ふるさとの文化 起こすもの


あらしは吹けど 大空に 星座の光 にごりなく

春よみがえる 木々の色 友情の花 輝いて

歌えば みなぎる 希望の調べ

ああ われらわれら ふるさとの文化 起こすもの





では、最後に りんごの漢方的な薬効を紹介しましょう。

私の師匠 福島の貝津先生の名著「日本の薬草」より。


リンゴ 

[林檎(りんきん)、花紅(かこう)] バラ科

古く中国から伝わった ワリンゴを林檎といい、
日本で林檎(リンゴ)と呼ばれるようになった。

現在栽培されているリンゴのほとんどはセイヨウリンゴである。

薬用部分:果実(林檎)、葉(花紅葉)

薬効:果実は食欲不振、下痢。葉はあせも。

使用法:

1日1個ぐらいをジュースにしたり、そのまま食べる。
子供は年令に応じて量を加減する。
葉は乾燥して50gほどを浴湯量にする。  


りんご畑の向こうには、大森山。

私たちには、お馴染みの秋の風景ですが、
今回の 漢方コラム「りんご」を通して、
神町の歴史と先人たちの偉大さを知って頂きましたら、
このうえなく嬉しく思います。

私自身、このコラムを作っていて、
胸が熱くなりました。

今月、19日から24日まで、中国は南京に
漢方研修に行ってきますが、
これで心残りなく勉強に励めそうです。




漢方コラムで、以下に紹介する作品も神町の歴史や風景に触れています。
お暇なときにご覧になって頂ければ、望外の喜びです。

@「さくらんぼ」0/6/26
A「井戸を掘った人」00/07/14
B「」01/4/24
C「桃源郷」01/05/14
D「さくらんぼ」01/6/26
E「桃の里(桃とサクランボ)」02/05/26
F「桃(夏の思い出)」03/09/14
G「土屋薬局の紹介