Tweet
岩木山にはりんごの花がよく似合う
![]()
私が温泉めぐりをしているときに、今も愛しているバイブル本。
時間があれば、手にしているし、温泉宿に泊まるときも持参するバイブル本。
それが、私のサイトとも相互リンクをして頂いている永井登志樹さんの名著「東北湯治場 湯めぐりの旅」です。
その本の18ページの「湯段温泉 長兵衛旅館 岩木山の見える湯治場(青森県岩木町)」の後半の文章を紹介させて頂きます(永井さま、ありがとうございます)
27ページより。
翌朝、外のスピーカーからビートルズの「レット・イット・ビー」のメロディーが大音響で流れ、
りんごの袋を早く取るようにと農協からの呼び掛けが響き渡り、目覚めされられた。
時計を見るとまだ六時。
「レット・イット・ビー」をこんなところで、こんな時間に聴くとは…
とぼやきながら窓の障子をあけてみたら、何と正面にドーンと岩木山。
昨日は雲に隠れていてわからなかったが、
長兵衛旅館はこんなにくっきりと岩木山が見える宿だったのだ。
部屋の窓枠が額縁となってその中に山容がぴったりと納まっている。
まるで"お山”という一つのタブローのように見える。
津軽に来て岩木山を眺めるたびに、
「この山の前では悪いことはできないな」といった気持ちになる。
昔の人はよく「おてんと様が見ている」からと言ったが、
津軽ではいつも「岩木山が見ている」のである。
布団を車に戻して会計をすませた帰りしな、
ムツエおばあさんはリンゴを袋にたくさん入れ、私に持たせてくれた。
一泊限り、それも布団持参の自炊客に対してこの心使いがうれしく、
もったいなく思った。
「津軽を語るには岩木山とリンゴを外しては考えられない」とある人が述べていたが、
私もそのことばに同感だ。
湯段温泉がまさにその通りだったから。
……
![]()
ああ、そんな訳でして長い間、
私も「岩木山とりんごの花」に憧れていたのです。
津軽を温泉巡りをしていると、いつも目の前には「岩木山」
友人とも、「あすなろ温泉からの岩木山の眺めが好きだ」
「鰺ヶ沢からの岩木山も味がある」
などと語り合いながら、温泉巡りをしたりもしたものです。
今年は雪害などの気候で例年よりも10日間くらいは、
りんごの開花が遅れていたそうですから、
私が訪れた5月29日でも りんごの花が眺められることができたのです。
![]()
「岩木山とりんごの花はよく似合う」と「東北湯治場 湯めぐりの旅」の世界も体験した私は、
満足してしまって、その後津軽を訪れていません。
また機会がありましたら岩木山を見に行きたいと
いつも思っているのです。
![]()
![]()
「長兵衛旅館と世界一」と「桃のようなりんご」、「雲の隠れる岩木山」と津軽りんごと岩木山シリーズをお読みして頂けましたら、望外の喜びです。
ああ、この日のために。
この日のために、津軽に来ていて良かった。
アジサイの日中線記念館
日中線記念館は、米沢から121号線を南下して大峠トンネルを越えると喜多方市中央部の手前にあります。
熱塩温泉の近くと言ったほうが分かりやすいでしょうか。
そこでは、過去の歴史を終えたラッセル車キ100とオハフ61が静かに静かに眠っています。
ここ聖なる喜多方の大地には、毎年きれいなアジサイが咲きますので今年も楽しみにしていました。
では、皆様を「東北廃線紀行の旅」に招待しましょう。
![]()
![]()
2005年6月23日撮影です。
アジサイには、ちょっと早すぎました。
しかしアジサイが咲いていなくても、人間誰でも自分が好きな風景や情景があるのと同じで、
私はここの「日中線記念館」が大好きです。
温泉でも鄙び系を応援したくなる気持ちと一緒かもしれません。
![]()
6月29日です。
アジサイがだんだんと咲いてきています。
![]()
日中線記念館の近くには、かつての標識も残されています。
![]()
喜多方の美しい緑に、朽ちかけた標識が眠っています。
遠くで、カンカンカンと音が鳴っているような錯覚を覚えます。
![]()
![]()
もう少し奥に歩きますと、小川を前に橋げたが残っています。
これからの季節は、ねむの木の花もきれいに彩ることでしょう。
芭蕉の句も浮かんできます。
「夏草や兵どもが夢の跡」
7月8日の模様です。
アジサイも満開になってきました。
実に美しいです。
漢方コラム本編の「アジサイ」と「雪の日中線記念館」も楽しんでお読み頂ければ、
きっとラッセル車キ100とオハフ61とアジサイたちも喜ぶと思います。
世間の「アジサイの見頃を迎えました」というニュースを見たり、
聞いたりするたびに、ふと日中線記念館を思い出したり、
喜多方の蔵の白い壁に生える民家のアジサイの模様などが、
鮮やかに脳裏に描かれるのです。
浅間山荘から、嬬恋村のキャベツ畑へ
先ほどの連休中(7月17〜18日)に、前回も宿泊して気に入った万座に宿泊しました。
今回は憧れの浅間山荘経由です。
![]()
浅間山荘へ向かう林道。
![]()
「ここって、かの有名な浅間山荘事件があったところか?」とか思いながら浅間山荘に到着です。
「浅間山荘 天狗温泉」とは、いいネーミングだと思います。
実際にここの温泉はそうですね、
この天狗のお面のように赤くてきれいな色をしていました。
![]()
この画像は、浅間山荘に行く道中の長野県小諸市から見た風景です。
ちょっと景色が曇っていますが、アジサイの下には千曲川が悠々と流れ、
浅間連邦を私は見上げているんですよ。
ああ、千曲川。
「ち・く・ま・が・わ」って、なんて響きがいいんでしょう、
ここも昔から憧れていた川なんです。
この小諸市は、あの有名な作曲家の小林亜星さんも戦時中は疎開していて、空気がきれいなのですっかりと喘息が治ったんだそうです。(と、帰りの新潟県のガソリンスタンドに置いてあったスポーツ新聞の連載に小林亜星さんが直々に執筆していました)
![]()
![]()
浅間山荘から本道へ戻り、
車でなお10分くらいがんばって登ると、
浅間山の高峰高原に着きます。
さすがに「雲上(うんじょう)」ですね。
雲が下界から、もくもくと上がっては消えていきます。
ああ、私は憧れの「浅間山」にいるのです。
![]()
![]()
高峰高原の樹木たちです。
ここは空気が清々しいんです。
![]()
![]()
高峰高原で一番人気だったユリの花です。
みんな一眼レフで、脚立を置いて撮影していました。
![]()
![]()
野アザミです。
アザミも好きなんです。
![]()
あの向こう側は、こちらの長野県側とは反対の群馬県。
白根山とかダムに沈む町たちや草津や今晩宿泊する万座、
湯の丸高原などが待っています。
さて、ここ高峰高原から私の苦手な林道を抜けると
群馬県嬬恋村のキャベツ畑が待っていました。
前回も、ここの鹿沢あたりを通ったときも、キャベツ畑の風景に心を奪われましたが、
やはり私は「嬬恋村のキャベツ畑」が心から好きなようです。
坂道の向こうには、乗り捨てられているトラクターがあるのがお分かりでしょうか?
向こうの山に上がれば、草津と万座があります。
キャベツ畑ってなんて美しいのでしょう。
後ろを振り返り、「今来た浅間連邦をキャベツ畑上に眺める」です。
隣のキャベツ畑では、若い青年たちが上半身裸で収穫に汗を流していました。
ロックをしているような風貌に、背中や腕のタトーがお日様を反射し、
汗が滴り落ちます。
なんだか奇妙な風景でした。
![]()
嬬恋村のキャベツ畑にすっかり満足した私は、再び鹿沢付近を走り、
次の目的地を目指したのでした。
万座から善光寺へ
![]()
万座の山を降りると、子安温泉などの高山村でした。
松川渓谷沿いを走ります。
![]()
ロード沿いには、子安温泉、山田温泉、五色温泉、七味温泉などがあり、
一番の奥のもう少しで志賀高原の目の前には、山田牧場がありました。
![]()
坂道を車で登り上がって行き着くと、
意外な光景が広がっていることに驚きます。
ヨーロッパを思い出すような、スキー場を背景にした、牧歌的な風景がそこにあります。
牛の糞を踏まないように気をつけながら散策を楽しみました。
長野県の田中知事のサイトもちらっと読みましたら、
ここ奥山田温泉で会合があったとあります。
学生さんたちの夏や冬の合宿や、
避暑地として人気があるのだと思いました。
![]()
松川渓谷から小布施町を通り、私が中学生の頃から憧れていた善光寺を目指すことにしました。
実は、前回に万座、草津を訪れたときにも
由緒ある「草津街道」から善光寺を目指そうと思ったのですが、
タイム・アウトで力尽きましたので、
今回はぜひともと考えていたのでした。
小布施町の街並みは、ちょうど果樹園が多く、
りんご畑などを見ながら車を走らせていると、
これは青森県の板柳町などでもそう思うのですが、
「我が家がナビに載っている」ような錯覚を覚えてしまいました。
私の住んでいる神町(じんまち)に風景が似ていました。
果樹園と温泉があって、遠くには澄んだ山並みが眺められることなどそっくりです。
![]()
この道は「The road leading to 善光寺」。
すべての道は「善光寺」につながります。
下北半島で「恐山」の文字を見ながら憧れの「恐山」にワクワクして行くのと同じ気持ちです。
すごく高揚とした気持ちになりました。
![]()
私は美術館好きなので、信濃美術館に車を置いて美術館めぐりをしてから、
生まれて初めて善光寺に行きましたが、想像以上に大きい建物でした。
「牛に引かれて…」とあるので、山田牧場のように牛がきっといっぱいいて、
糞を踏まないようにせねば!などと気合も入れていたのですが、
残念ながら今の時代には牛はいないんだそうです。
そのように、お土産屋さんのお兄さんが言っていました。
善光寺では、中に入ると、
「そこは真っ暗な暗闇があり、下手な肝試しよりも怖かった」です。
![]()
さらば善光寺。
長野市内の道路は、一車線なのに車が2台走っていました。
私の頭の中は「???」だったのですが、よく観察しますと、
右側の建物に用事があったり、右折をそのうちにしたいときには、
1車線の右側を走るということで、
決して「追い越し車線」になるということでは無かったのです。
びっくりしました。
ちょっと慣れないので走りづらかったです。
車の中でFMを聴いてみると(旅先で地元のFMなどを聞くのが好きなんです)「81・3」のJWAVEでした。
長野って凄いとビックリしながら、よくよく聴いていました。
いわゆるコミュニティー・ラジオでして、「FM善光寺」からJWAVEが流れていたのでした(爆)。
大うけしながら、帰路につきました。
長野県は、人情も景色も良かったです。