新年にあたりまして─上杉鷹山公の精神
新年明けましておめでとうございます。
旧年中は当店をご利用頂きまして、また「土屋薬局 中国漢方通信」ならびに、
この「ココログ版」をご覧頂きましてありがとうございました。
スタッフ一同「酉年」に負けぬよう、更なる飛翔を成し遂げていきたいと思っております。
本年もどうぞよろしくお願い致します。
(年始から相談業務が多忙でしたので、ご挨拶が遅れてしまいました。申し訳ございません)
1月10撮影。山形県米沢市の上杉神社。
藩祖上杉謙信公を祭った神社として全国的に有名です。
昨年の12月の暖冬とはうって変わっての豪雪となっています。
上杉鷹山公です。
雪に覆われて、まるで白い帽子を被っているかのようです。
「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成さぬはひとの なさぬなるけり」
鷹山公の有名な格言です。
危機的な財政状況に陥った米沢藩を立て直したことで世界的にも知られています。
鷹山公は自ら率先して、統治者である自分の絹の着物を木綿の着物にしたり、
豪華で有名だった殿様の食事を「一汁一菜」にし、
倹約に努めていきました。
女中も三分の一くらいの「少数精鋭」にし、
家中の反対を押し切って、
藩全体の舵をとっていったのです。
つまり120万石で豊かだった時代から、
当時15万石にまでに減らされたことへの
意識を変えることから始めたのです。
実質15万石の経済状態だったのに、
50万石ほどで藩士を養っていたので「火の車」であったのは当然のこととも言えます。
また鷹山公は 倹約ばかりの「リストラ策」だけでは、
ジリ貧になっていき 民は疲弊するだけですので、
米沢の地域性を生かした産業─地場産業の育成にも勤めました。
米沢で取れる麻糸や漆、桑、紅花などを加工して、
製品に変える技術を育成していきました。
つまり付加価値を上げ、「米沢藩」の「オンリーワンブランド」を養成していったのです。
女中たちは「米沢織」を織ったり、
農家の人たちは副業で「笹の一刀彫り」を作りました。
今の21世紀の米沢にも残っているものは、
鷹山公によるものが大きいと言えます。
私たちも「なせば成る」のチャレンジ精神で今年一年間がんばります。
今年もどうぞよろしくお願い致します。
(「アフロな鷹山公」というスタッフの感想も載せておきます。。)