00/10/04
彼岸花(ひがんばな)。別名は、曼珠沙華(まんじゅしゃげ)。生薬名は、石蒜(せきさん)。
地方の言葉では、 イッポンカッポン オオスガナ(和歌山)、カジバナ(群馬、福井)、カブレノカッポン(和歌山)、カブレバナ(山口)、カラスノマクラ(岐阜、岡山)、ジイジンバナ(新潟)、シタマガリ(三重)、シビトバナ(和歌山)、ジュズカケバナ(新潟)、ジュズバナ(愛媛)、ソウシキバナ(福井)、チョウチンバナ(福井、山口、愛媛)、テグサレ ドクホウジ(和歌山)、ノアサガオ ハカゲ(和歌山)、ハコボレ(静岡)、ハミズハナミズ(福井)、ハモゲ ハモゲバナ(大分)、ヘソビ(三重)、ヒビノハナ ヘビバナ(静岡、山口)、ホゼバナ(愛媛)、ホトケバナ(茨城)、ボンボラボン(静岡)、ミチワスレグサ(群馬)、ユウレイバナ(群馬、福井) 。 (参考文献:大塚敬節先生の 「漢方と民間薬百科」 (主婦の友社 昭和41年発行) )
この写真は、家の敷地内で今年の9月29日に撮影したものです。
色鮮やかな、その姿。
こころが惹かれます。
秋のお彼岸の時期に咲くので、
彼岸を告げるとして、「彼岸花」と名付けられました。
法華経の 「摩訶曼陀羅華(まかまんだらげ)曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」から出たと言われ、梵語(ぼんご=古代インドの文語であるサンスクリットの称)の「天上界の花」「赤い花」の意味を持ちとされています。
外見は鮮やかな赤で、美しい花ですが、根茎には毒性の強いアルカロイドのリコリンという有毒物質を含んでいて、
食べると下痢や嘔吐を催すことがあります。
そのため、この華には、たとえば カブレノカッポン(和歌山)、カブレバナ(山口)、シタマガリ(三重)、テグサレ ドクホウジ(和歌山)などいう地方の方言が付けられたのでしょう。
また、「ドクバナ(毒花)」 「セキリバナ(赤痢花)」 「毒ユリ」といった方言があるそうです。
また、墓地に多く咲くことから、シビトバナ 死人花 (和歌山)、ジュズカケバナ 数珠掛花 (新潟)、ジュズバナ 数珠花 (愛媛)、ソウシキバナ 葬式花 (福井)、ハカゲ 墓蔭 (和歌山)、ユウレイバナ 幽霊花 (群馬、福井)といった「死」に関連した方言もあります。
花期に葉はなく、晩秋になって線形の葉を出し、翌年の夏に枯れてしまいます。
花茎の高さは30〜50センチ、茎先に赤い花を5〜10個つけます。
日本では不吉な名前が多いせいか、あまり庭で栽培されませんが、
外国では花の美しさを買われて観賞用に好んで栽培されるとのことです。
さて、ここは 土屋薬局 中国漢方通信ですから、
再び 大塚敬節先生の 「漢方と民間薬百科」 (主婦の友社 昭和41年発行)より、
彼岸花の薬用としての使用法を紹介します。
薬用部位
球根 茎
薬効
あかぎれ、痔、歯痛、はれもの、しらくも(頭部白癬)
使用法
@あかぎれ 球根をおろし、米のりでぬってつける。
A痔 痔の痛むときに、茎を刻み、せんじた汁で幹部を洗うとよい。
B歯痛 球根をおろしたものとオオバコの葉とをよくねり合わせて、痛む側のほおにはる。
Cはれもの しらくも 球根を生のままですりつぶし、和紙にのべて患部にはる。
土ふまずにはって浮腫をとる。
球根をおろして、ヒマ(唐胡麻)の実をつぶしてねり合わせ、それを土ふまずにはると、
尿の出がよくなって浮腫がなおったり、腹膜にたまった水がとれたりすることがある。
四十年ほど前のことだが、私がみていた患者が、足に包帯をしているので聞いたところ、
腹膜炎がなおると教えられたので、シイエレ(土佐ではヒガンバナをこう呼ぶ)の根をつけているといった。
しかしこの患者には効がなかった。
その後、ワイル病の患者で、尿がでなくて困っている者に用いて、著効のあったことがある。
大塚先生の本は、いつ読んでも素晴らしいですね。
さて、ここで私には疑問がありました。
「彼岸(ひがん)」とは、なんだろう?
いつも 簡単に 「お彼岸」 だから、墓参り、先祖の霊を慰めるといいますが、
私には 本当のことは分かっていなかったのです。
「暑さ寒さも彼岸まで」
「お彼岸」は春分の日、秋分の日を中心として、その前後三日、計七日間をいいます。
この期間、お寺では法要が行われ家庭ではお墓参り等をします。
「彼岸(ひがん)」 とは仏教用語で「向こう岸」 という意味です。
いわゆる極楽浄土をさします。
「彼岸(ひがん)」 の対語は「此岸(しがん)」といいます。
「こちらの岸」 という意味です。
いわゆる娑婆(しゃば)を指すそうです。
春分秋分の日を中心に 「お彼岸」があるのは、
多くの仏教では極楽浄土は西方十万億土の彼方にあると考えられています。
従って太陽が真西に沈むこの日は極楽浄土の方角がはっきりわかるので、
「お彼岸」の期間には法要が盛んに営まれるそうです。
もう一つこういう考え方もあります。
春分と秋分の日は、一日の昼と夜の長さがほぼ同じです。
しかも、太陽は真東から上り真西に沈みます。
右にも左にも偏らない自然現象を、お釈迦さまの説かれた教えと重ね合わせ、
「中道」の思想のお彼岸という仏教行事になりました。
仏教では、私たちのいる世界は、「此岸(しがん)」と読んでいます。
欲望、迷い、悩み、苦しみ、など、生きているこの世界(此岸)は、煩悩で満ち溢れています。
一方、苦しみのない、本当の幸せ、真実の幸福の世界が 「彼岸(ひがん)」 です。
「彼岸(ひがん)」は、仏様(ほとけさま)の世界です。
私たちのご先祖様も住んでいる、安らぎの境地。
大きな川をはさんで向こう岸(彼岸)に仏の世界があり、
私たちはこちらの岸(此岸) にいます。
彼岸は、仏の世界であり、悟りの世界であり、此岸は凡夫の世界であり、迷いの世界です。
迷いの岸 (此岸)から、悟りの彼岸に到る(到彼岸)のが、仏教の目的であり、「彼岸」の意味なのです。
彼岸花の咲くころは、祖先を敬いながら、こころ安らかに生きていこう。
生きてるうちは、いろいろと悩みや苦しみもありますが、
たまには 「彼岸」にいる気持ちで、大らかなこころ をもちたいものです。
2006年9月23日の「彼岸花」と9月25日の「彼岸花咲きました」もご覧になって頂きますと
望外の喜びです。(06/09/25)