00/10/14
で知られる大地主 本間家 (戦前日本一の大地主といわれ、約3,000ha、現在の酒田市の田んぼの面積の約半分を所有していた。) や 寛文12年(1672)に、河村瑞賢(かわむらずいけん)により整備された「西廻り航路」 が有名な山形県庄内地方を代表する都市。
「西廻り航路」 は、酒田から下関を経て大阪、さらには江戸まで続いた。
この航路により酒田と上方の堺・江戸が直接結ばれ、酒田港は大いににぎわった。
その繁栄ぶりは「西の堺、東の酒田」 といわれるほどだった。
現在、酒田市の人口は、101,447人(男48,800人/女52,647人/世帯数34,783) (2000年8月31日)
酒田市は、山形県の北西部、東西19km、南北22km、面積175.79平方メートルで、最上川の河口に位置します。
(地図上に見える内陸最上地方の新庄市から、 陸羽西線・下り (奥の細道 最上川ライン) 快速最上川 3号で、はるばる酒田までやってきたのです)
西は日本海、北は遊佐町、東は八幡町、平田町そして南は鶴岡市、余目町と隣接し、
日本海上には山形県で唯一の島、飛島があります。
広大な水田を有する沖積平野にあり、市内中心には最上川が流れ、日本海に注いでいます。
県内唯一の重要港湾である酒田港を中心とした交流都市として、順調な発展を続けています。
(酒田市のホームページを参考にしました。ありがとうございます。)
さて、酒田駅に 21:06分に到着してかたの模様を、使い捨てカメラで撮りましたので、
みなさまも一緒に雰囲気を味わっていきましょう。
酒田駅構内から、張り切って 外に出ました。
これから 北陸地方の加賀温泉駅に行くには、「日本海4号」という
憧れの寝台列車に乗らなくてはなりません。
日本海4号は、酒田駅到着時間 00:04分。
出発は00:06分ですから、まだ3時間は待ち時間があります。
せっかく、酒田に来ているのですから、ただブラブラしてはもったいない!と思い、
散策にでることとしました。
ところが、、、。。。
酒田駅前商店街は、全部 シャッターが下りていて、何もありませんでした。
この写真(上記の写真)は、酒田駅商店街から、酒田駅を撮ったものです。
暗くて、何も分からないと思いますが、向こうにあるのが本当に酒田駅です。
(けっして、使い捨てカメラだから、画像が暗いのではありません)
トボトボ、歩く。
何も無い。
途中、火に飛び込む虫のように、サンクスとファミマーに入って、
時間を潰す。
どうやって、3時間の待ち時間を過ごせば、良いのでしょうか?
誰も知り合いがいない。
寂しい。
困った。
グルグル歩いていたら、神社発見。
おそるおそる、境内を散歩します。
この日は、9月8日。
肝試しをやっている場合ではないですね。
気を取り直して、グルグル 3回ぐらい酒田駅前を歩きましたが、
まだ2時間は待ち時間があります。
煌煌と明かりがついているところは、
ビリヤード場です。
みんな、熱心に玉を突いてます。
学生時代は、ビリヤードブームでした。
学校が終わったら、武蔵小山のビリヤード場に行きます。
(いまは、潰れてしまいましたけど)
(潰れた後は、カラオケになりました)
ナインボールで、友人や女の子たちと遊ぶ。
と、回想にふけながら、意をけっしました。
お腹が減りました。
ああ、結局は、駅前の居酒屋で時間を潰すこととなりました。
海の幸がおいしい店でした。
店内には、テレビが置いてあり、
「ガメラ」 の最新作を放送してました。
23:40分ころ、勘定を合計して席を立ち、
ようやく 日本海4号が待つであろう 酒田駅に向いました。
次回は、やっと みなさまに日本海4号の車内をご覧頂く予定です。
次号予告。
寝台列車にも、ランクがあり、
個室とB寝台があるらしい。