雪は天から送られた手紙である

00/11/03






11月になり、山形の山間部でも初雪の便りが聞こえてくる季節になりました。

私たち雪国に住むものにとって、雪とは克服すべきものであり、生活との戦いになります。

都会に住んでいる人たちは、気軽に街中から蔵王などのスキー場に来れば、
楽しく雪と親しんで アウトドアを満喫できます。

しかし、私たちは雪かきをしたり、除雪車を呼んで駐車場の雪掃きをしたり、と苦労することが多いのです。

そこで、「井戸を掘った人」にも記載しましたが、井戸水(地下水)で雪を溶かしたり、
温熱式の駐車場にしたりと さまざまな工夫をすることとなります。

雪とは、私たちにとっては なるべく少なく降ってほしいものです。

(ところが、降雪量が少ないと、今度は 「さくらんば」や「りんご」などの果樹の生育が悪くなるのです。
自然とは、うまく出来ているものです)


今日は午前中に 「小国(おぐに)  」から 神町(じんまち)に移り住んでいる お客様とお話をしました。

一昨年までは、夏は 小国に住んで、冬は 神町の自衛隊の息子さんのところに住むという 変則的な生活をしていましたが、
昨年からは 住所を完全に神町に移しています。

一晩で雪が3〜4メートルも降るのだそうです。

私も、小国には行ったことがないのですが、確かに地図で確認すると新潟県と山形県との県境で雪が多そうです。


私はお年よりの方と(正確には高齢者ですが)、お話をすることが好きです。

死んだ爺ちゃんにも、よく聞かされました。

戦争で静岡に行っていて、終戦後に 夏の暑い日に あせもだらけになって、山形に帰ってきた話。

進駐軍が神町にやってきて、始めてみる白人や黒人にびっくりした話。

しかも、お店に来たのはいいが、家にも入ってきて靴のままで茶の間に上がった話。

当時は、東京のエトワール海渡から商品を仕入れると 飛ぶように売れた話。

パン助(当時の言葉ですからご勘弁を)がいっぱいいた話。


小国から来たお客様の婆ちゃん(ここでは、便宜上そう呼びますが親しみを込めて呼んでいます)が
嫁に行ったころは、まだ電気もなくて、ランプで生活をしていたそうです。

草屋根で、一日中 雪が降るので窓を何度も雪掃きをしなければなりません。

外へ出かけるときは、カンジキを履いて歩き、小さいカンジキだと沈んでしまうので、
大きいカンジキを履くので みんなガニ股になってしまいます。

冬の小国は 一面中 銀世界に閉ざされます。

男たちは、10人くらいの集団をつくり、ウサギを追って狩をします。

ウサギの肉は食用にし、皮は町に売りにでます。

女たちは、家の中で 藁を使って 蓑(みの)を編んだり、カンジキを作ります。

そもそも、当時は長靴も無かったそうです。

今は便利で、神町も雪が降らなくて 楽でよくなったものだと笑っていました。


東根あたりには、お年寄りたちが古里を捨て、尾花沢や小国、新庄あたりから引っ越してきます。

同じ山形県のなかでも、雪が多いところは敬遠されるのです。

ですから、雪が多いところは過疎化が進行していきます。

小国も、過疎化が進行中で、もうあまり人が住まなくなっているそうです。

畑や田んぼは 農協に任せたり、宅地化したりで、担い手がいません。


さて、一番上に何やら不思議な建物の写真を載せましたが、
これは 「中谷宇吉郎 雪の科学館」です。

おりしも 今年は 生誕百周年記念です。






ああ、私は 高校時代から 中谷宇吉郎博士に憧れていて、
やっと、ここまで辿りついた。

日本中医薬研究会全国大会が加賀温泉で開催されたお蔭です。
実は、9月9日は ホテル「加賀百万石」で
豪華に勉強会が開催されていたのですが、
私は「子供ツアー」に混じって観光に出掛けていたのです。

この場を逃したら、多分に一生見れない。
憧れの中谷宇吉郎。

「雪と氷の科学者」 中谷宇吉郎(なかやうきちろう)。
(1900〜1962)


1900年(明治33)年加賀市片山津温泉に生まれる。
小松中、四高、東大理学部物理学科を卒業。
東大では寺田寅彦に指導を受けた。理化学研究所勤務、ロンドン留学を経て、1930年北海道大学に赴任し、1932年教授となる。
その頃から雪の研究を開始し、十勝岳の山麓で3000枚に及ぶ雪の結晶の写真を撮り、1936年には世界で初めて人工的に雪の結晶をつくることに成功し、結晶の形と気象条件との関係を明らかにした。
1941年には帝国学士院賞を受賞。
その後、着氷、凍上、農業物理などの研究を経て氷の研究にすすんだ。
アメリカの雪氷凍土研究所(SIPRE)の顧問研究員となり、アラスカのメンデンホール氷河の氷を使って氷の結晶の研究を行い、グリーンランドに出かけて氷冠の研究を行った。
1957年には国際雪氷委員会副委員長に選ばれた。
「雪の研究」の姉妹編として予定した「氷の研究」のまとめを約三分の二なしとげ、1962年、骨髄炎で逝去。
「冬の華」などの随筆や、「霜の花」などの科学映画を通じて、科学の魅力をやさしく紹介した先駆者でもあった。

(「中谷宇吉郎 雪の科学館」のパンフレットより、引用しました。ありがとうございます)

高校時代は、「真夏の日本海」 「立春の卵」 「風土と伝統」 「異魚」 などの中谷先生の随筆を読み、
「科学する こころ」にとても感動していました。

それからは、山形の八文字屋などの本屋さんで、中谷宇吉郎の著作を探したのですが、
絶版! ばかりで悲しい気持ちになったのを未だに覚えています。

それが、16年ぶりに 忘れかけていた 中谷宇吉郎の科学館に行けたなんて、今でも嬉しいです。

「中谷宇吉郎 雪の科学館」で買った本は、「科学の方法」(岩波新書)、「雪」(岩波文庫)、「中谷宇吉郎物語」(中谷宇吉郎 雪の科学館) 中谷宇吉郎随筆集 樋口敬二編 岩波文庫 の4冊です。

さて、今回は  岩波文庫創刊いらいの名書 科学的古典の 「雪」より、興味深い文章を紹介しましょう。




第一 雪と人生 一より

我国においても漸く四、五年前から農林省に、「積雪地方農村経済調査所」という機関が山形県新庄に設けられ、其処の委嘱で優秀な学徒が集まって真摯な研究が始められた。



雪の人間に与える損害は色々数えることが出来よう。
そのうち計算にのらぬものは今此処には挙げないとして、物質的な損害のみを数えるに止めるがそれも容易な量ではない。

我国の一年間の雪の損害は、鉄道の損害を除いてもなお大雪の年には一億二、三千万円に上っており、比較的雪の少ない年でもなお六、七千万円の巨額に達している。

我国で大雪に苦しめられるのは、誰でも知っているように裏日本であって、新潟、富山、秋田、岩手などに及んでいる。
このように何故裏日本に雪が多く降るかということは、今日もはや人々の常識となっているところであるが、一口にこれを説明すれば、冬季北半球では西北の風が吹く。

特にこの傾向は上層では強いのであって、随って、シベリヤから冷たい風が日本へ向かって吹いて来るのである。

シベリヤと日本との間には、日本海があるので、この風はそこの水蒸気を運び、それが日本の中央を縦走する山脈にあたって、そのうちの水蒸気を雪にして落としていくのである。



結城哀草果氏はその著 「村里生活記」の中に、東北農民の生活を描いている。

この著者の居村は、山形県であって、雪の被害も多いであろうが、ここには 「冬の農家」という文章から一節を引用しよう。

冬の間この地方の農民は主として藁仕事に日を過すらしいのであるが、氏はそれを丹念に調査して、その材料費、労働時間などの数字をかかげた後、

「右は僕の農村が冬の副業に筵(むしろ)を織ったり縄を綯(な)ったりして働く労賃が、幾らになるかを調べて見たのである。
それによると一人の男が、一日八時間から九時間以上休みなく働いた労賃が、僅かに九銭から捨壱銭強にしか当らぬが、これは嘘のようであって事実である。

汗を絞って働く一時間の労賃が、たった一銭一厘強にしかならぬことを知ったならば、誰しもがその労賃のあまりに僅少なのに驚くであろう。

それをさまで百姓だちは痛感せずに働いているのは、春から秋にかけて一家総がかかりで汗を流して、秋に収穫した米を食い、稲から取った藁を原料としているからである。

つまり百姓だちは、筵を織ったり、縄を綯ったりしながら、秋に収穫した米と藁とを、冬の間に食潰してしまうのである。
かくて年々農家の身上が傾き、それが農村の敗亡となって現れるのである。」

更に

「同じ時代の都のおとめだちが、明るい電燈の下で、はなやかに骨牌(カルタ)を切っておることも知らず、……農村の娘だちは、掌(てのひら)から血を流して毎日藁を打っておるのだ。

さればといって

稲舂(つ)けば皸(かが)る我が手を今宵もか殿の稚子(わくご)が取りて嘆かむ (万葉集十四 東歌)

の古代の娘のように、今日の農村の娘だちには可愛がってくれる若い殿子もいないのである。」と述べいてる。


「雪」は、雪と人間生活、その災害について述べながら、雪華研究の歴史を語り、
中谷宇吉郎先生が どうして雪の研究に入ったか?などと展開していきます。

そして「雪」の本の最後は、次のように終わります。




「このように見れば雪の結晶は、天から送られた手紙であるということが出来る。

そしてその中の文句は結晶の形及び模様という暗号で書かれているのである。

その暗号を読みとく仕事が即ち人口雪の研究であるということも出来るのである。」



「グリーンランド氷河の原」

グリーンランド氷河のモレーンの石の原。
博士が最後の研究をした北緯78°の極地から来た石。

私の目には、とても不思議な風景として映りました。

向こうに見えるのは、実は喫茶室。
まるで、「2001年宇宙の旅」のラストシーンのようではありませんか!




編集後記:

今回は、CGIプログラムの有名なものを借りてきて、
雪を降らしています。

文章も、あちこち飛んで読みずらかったことと思います。

最後にもう一つだけ紹介させてください。

「中谷宇吉郎物語 ―天からの手紙を読んだ雪博士―」より


十勝岳の風のない夜、宇吉郎は、まっ暗な世界の中に立って、
頭の上に、かい中電灯の光を空へむけてみました。

その光の中を、いつまでも、静かに舞い降ちてくる雪を仰いでいると、
宇吉郎は、いつのまにか、体が空へ浮き上がってくるような思いになったということです。