01/05/14
4月29日10時23分撮影。
場所:大森山
撮影者:土屋幸太郎
私が 子供の頃は、近くの 若木山(おさなぎやま)で よく遊んでいました。
初めて自転車に乗れたのは、若木山の原っぱでした。
それまでは、補助輪のついた自転車に乗っていたわけですが、
友達たちが 補助輪を外して 嬉々として しかも軽々と自転車に乗っているのを見て、
子供心にも 「このままでは、いけない!」と思い、
一念奮起しながら 母に若木山の公園に連れて行ってもらいました。
あの日は、ちょうど雨が上がった後で、土が濡れていました。
ちょうどその頃は、乾いた アスファルトで練習して、何度も涙を飲んでいましたので、
「今度も駄目か」と思いながら、駄目もとで 自転車を漕ぎ始めると、
すいすいと 多少ふら付きながら 自転車は進んでいったのです。
また 私が子供の頃は、神町小学校には プールが無かったので、
夏の体育の時間には、みんなでプールバックを背中に背負って、若木山のふもとにあるプールへ行ったものです。
秋になると、若木山の空は ゲイラ(アメリカからやってきた かっこいい凧)が上がります。
あれは、欲張って 2本分の糸をつなげますと、
電線に引っ掛かったり、ゲイラが落ちてから 糸を巻き戻すのに えらく時間がかかるんですよね。
低学年のころは、上級生の 空高く上がる ゲイラに憧れたものです。
さて、上記の写真の 大森山(おおもりやま)は、東根(ひがしね)の方角に位置しています。
小学校の頃は、とても遠い存在で、滅多に行かないところでした。
記憶にあるのは、オリエーティングを雨の中にやったことぐらいです。
本格的に、大森山が身近な存在になったのは、
今は無き 東根第一中学校という1千名を超える生徒数のマンモス校に通学していたころです。
ちょうど、この中学校の近くには、大森山があって、
運動部の部活などで ランニングに行ったものです。
山を登ったり、地上10mの貯水タンクに上がって悪さをしたりと、懐かしい思い出がありますが、
忘れられないのは エロ本です。
大森山には、何故か? エロ本がいっぱいあって、それは もう中学生男子にとっては 刺激的でした。
さてさて、この日 私は17年ぶりに なんとなく大森山を登ってみました。
山桜って、きれいで
心を奪われますね。
山形の この時期は、桜やサクランボ、リンゴなど、一斉に花を咲かせます。
それは 色とりどりで美しいものです。
春の喜びを木々たちが謳歌しています。
空は、燦々(さんさん)と日を照らしています。
久しぶりに、山に登ってみると 空気がとても おいしく感じます。
実は、横着して 途中まで 無理やり車で落ちないように登ったのですが、
それでも 山を歩いていると だんだん下界と離れてきて 気分が良くなってきます。
ふむふむ、下界の工業団地の野球場では、草野球をやっているのか。。
などと、空に近い場所から 眺められるのです。
と、こうしているうちに、頂上に着きました。
ある家族がいて、お父さんとお母さんは、山菜を集めているので、
地面ばっかり見ています。
子供と犬は、悟りを開いたかのように、遠くを見つめています。
私は、アゲハチョウ発見!と、喜びながら、相変わらずデジカメで撮影しています。
近くに寄ると、チョウは頭が良いので、殺気を感じるのでしょう。
すぐに逃げていきます。
だから、また得意の10倍ズームで撮影です。
ほら、あそこにある山が 若木山(おさなぎやま)だよ。
僕の家は、あの山の向こうにあるんだ。
ここらへんの土地は、じいちゃんやばあちゃんたちが、苦労して開拓したとこだよ。
サクランボやリンゴや桃の花たちって、きれいだなあ。
こういう風景を 桃源郷(とうげんきょう)というのかなあ。
と、ここで私は 意識を無くしてしまったのです。
どのくらい時間が経ったか覚えていません。
気が付くと、私は 猟師になっていたのです。
川を一人で、野田知祐さんのように カヌーに乗って 旅していました。
キャッチ アンド 塩焼きアンド刺身で魚を食べ、
キャンプをしながら 毎日を過ごします。
夜は 焚き火をしながら、ペーパーバックを読み、
読んだページは 燃やしていきます。
コーヒーの中に 少しウイスキーを入れると、
ほどよい 酔いがまわり、満天の星空の下で 眠りに入ります。
そんなある日、いつものように ボーっと空を眺め 昼寝の体勢に入ろうとすると
また 沈してしまいました。
沈しながら 必死に ぐるぐるとロールを繰り返していると、
何やら 両岸が 桃色に染まっているのが見えました。
そこで、カヌーを岸に止めて、上陸することとしました。
あれ? さっきまでは、桃の花が咲いていたのに、見当たらない。
私は おっかなびっくり 足を進めていきました。
いつのまにか、周囲は 竹やぶが広がっています。
どうやら 道に迷ってしまったようです。
必死になって、帰ろうにも カヌーを止めた場所も分からず、
あせっていると 洞窟が見つかりました。
とりあえず、駄目で元々です。
暗く 長い洞窟を 手探りで抜けました。
洞窟を抜けると、目の前が明るく 広がり、やさしい空気が流れていました。
しかも、菜の花たちが、やさしく迎えてくれるではないですか。
「おいで、おいで。僕たちのとこへ、おいで」
菜の花さんが呼んでいる方向へ、足を進めます。
「菜の花さん、こんにちわ」
「ようこそ、旅人よ。もっと先へ行くと いいよ」
菜の花さんたちに 別れを告げて さらに先を急ぐと
ぼんやりと 遠くのほうが 桃色に見えます。
ここが、川から見たところなのでしょうか?
確かめるために 30分ほど近くまで歩いてくると、
一面の 桃の花が咲く景色に出会いました。
空では 鳥が歌い、深緑の中に 桃の花が咲き乱れ、
私が下ってきたドブ川とは違う、清らかな川が流れていました。
また 鶏や犬たちなど 動物たちが たくさんいて、賑やかです。
私は 犬が好きなので 犬と遊んでいると
一生懸命に 種を蒔いている 男の人たちと 女の人たちがいました。
見つからないように、そーっと眺めていたのですが、
どんっと 歩いている そこの村の人にぶつかってしまいました。
「キャー、あなたは どこから来たのですか?」
ちょうど 私は、茶髪にして 髭をボウボウと生やし、
しかも デジカメを首からぶら下げ、
まるで神輿を担ぐかのように 半纏(はんてん)を肩から着流し、
足元は 雪駄(せった)という格好だから 驚いたのでしょう。
「いやー、びっくりさせて すみませんでした。
カヌーで川下りをしていたのですが、道に迷ってしまい、ここへ辿り着いてしまいました」
しばらく この美人な女性の方とお話していたら、
驚くべきことが 分かりました。
なんと、この私は 500年ぶりの来訪者だそうです。
この村は、戦国時代の動乱を逃れ、争いのない別天地を求めてきた人々が
500年もの間、誰にも知られることなく 暮らしてきた場所だったのです。
この村では、お金というものはなく、村人が役割分担をし、
農作業の得意な者は、おいしいお米や 果物をつくり、
指先が器用な者は、服を作ったり 家を作ったりしているらしい。
私が住んでいた世界と違って、だから ここは 金持ちも貧乏もいない。
村人全員が、みんな 大家族のように 暮らしている。
子供たちは、大人の手伝いをしたり、一生懸命 勉強している。
この村は、年配者を敬うので、長老たちが仕切っている。
だけど、若い人たちの意見も よく聞いて、高度の民主主義が発達している。
ためしに、村の辞書をひくと、
「欲、戦争、殺人、強盗、嫉妬、執念、呪い、恐怖、不安、孤独、詐欺、差別、貧困」
などの 言葉は 無かった。
そういう概念は、まったくないんだ、この村は。。
さて、私は 夢のような日々を過ごしました。
日中は、私は猟師などで 得意の魚釣りで貢献し、
夜は 村人との宴会です。
桃畑で お月様を眺め、歌を歌い、美女や ばあちゃんたちと踊りを踊ります。
桃畑がいっぱいあるので、冗談で
「桃(ピーチ)のリキュールはありますか?」
と聞いたら、サービスしてくれて ピーチフィズにしてくれました。
うまかった、桃の花を見ながら、ピーチフィズが飲めるなんて。。
朝は、お日様と一緒に起きるので、とても健康に良い暮らしです。
おだやかで 平安な日々が過ぎていきます。
ひょっとしたら、ここは ユートピアかなあ。
もしかしたら、「桃源郷」って やつかもしれない。
でも、出会いがあれば、別れがあります。
とうとう、私も 村を去る日が来ました。
長老が 耳元でささやきます。
「村のことは 他言無用」
ああ、それからのことは 一生後悔するでしょう。
俗世間の垢にまみれた私は、
東根市役所の市長室に行って、
土田正剛さんに、、
「市長、桃源郷を発見しました。」
と、報告してしまったのです。
それから、土田正剛市長を先頭に
市民課と土木課のみなさんと探検の旅に出たのですが、
誰も 二度とは 未だに 「桃源郷」へは、辿り着けないのです。
桃源郷が消えても、桃は毎年咲きます。
では、大塚敬節先生の「漢方と民間薬百科」(主婦の友社 昭和41年発行)より、
桃源郷の健康の源を紹介いたしましょう!
モモ 桃 (バラ科)
薬用部位
花(半分くらい開いた白花を用いる。その年にとった新しいものでなければ 効がない)
種子(桃仁という)
葉
薬効
浮腫(むくみ) 便秘 にきび そばかす 美顔 打撲(打ち身) せき(咳漱) くちびるの荒れ 婦人外陰部のはれ、かゆみ
鼻腔のはれもの 陰茎のはれ、かゆみ 回虫駆除 ふけとり あせも(汗疹) 耳に虫のはいったとき 月経困難 月経不順
使用法
1 浮腫 便秘
白花の新しいもの3〜5gをせんじて、空腹時に飲むと、
水のような激しい下痢を起こして 浮腫も去る。
しかし これは一時的で、そのあとで ひどくのどがかわき、水を飲んでいると また浮腫がくる。
からだの弱い人や老人は飲んではならない。
また、桃仁(とうにん)を粉末にして 一日量6〜10gを飲むと、大便を出やすくする作用がある。
2 にきび そばかす 美顔
白花とトウガンの種子(冬瓜子とうがし)とを等量ずつ すりつぶし、にきび、そばかすにぬると効があるといい、
また白花を粉末にして鶏卵でとき、これに鶏のトサカの血を少し入れて顔にぬると、色を白くする効があるという。
3 打撲
からだを打って、痛みがひどく、はれているときには、種子(桃仁)を泥のようにすりつぶし、
これを酒でねって患部につけるとよい。
4 せき
種子をせんじて飲むか、そのまま食べると、たんの切れをよくして せきを治す効がある。
一日量として5〜10gを用いる。
5 くちびるの荒れ
種子をすりつぶして、ラード(豚脂)で ねってつける。
6 婦人外陰部のはれ、かゆみ
葉をせんじた汁で たびたび洗う。
また、種子をすりつぶして つけてもよい。
7 鼻腔のはれもの
鼻にできた はれものには葉をすりつぶして汁をつける。
8 陰茎のはれ、かゆみ
種子を少しいってから粉末とし、一回に4gずつ、日に三回酒で飲む。
9 回虫駆除
生の葉をすりつぶし、これに水を加えて泥状にして飲むと、回虫を下す効がある。
10 ふけとり
葉をせんじた汁で、たびたび洗うとよい。
11 あせも
葉をせんじた汁で罨法(あんぽう)し、または、ふろをたててはいる。
12 耳に虫のはいったとき
葉をすりつぶして、汁を入れる。
13 月経困難 月経不順
種子5〜10gを一日分とし、せんじて飲む。
また、種子を すり鉢ですり、びん または、つぼに入れて密封し、別に釜(かま)に湯をわかし、
その中に びん または つぼを入れて湯せんにし、毎日少しずつ飲む。
血のめぐりをよくし、月経時の腹痛、腰痛をなおす効がある。
カツオの中毒に 著効のある白桃(はくとう)
「東京医事新誌」第265号に、渡辺狂という医師が、次のような例を報告している。
「平素は非常に健康な まだ18才の婦人が、カツオのさしみを食べて二時間ほどたってから、
顔がまっかになり、熱が出て、頭痛、めまい、腹痛、嘔吐を催して もだえ苦しみ、
これに いろいろの薬を与えたが、効がないばかりか、ますます苦しむようになったものに、
一老翁に教えられて白桃を食べさせたところ、五分で嘔吐がやみ、ついで軟便が出て、腹痛もやみ、軽快した。
もし実のないときは、枝、葉が代用してもよいという」
今回は、チャイナビュー bQ0号 「現代に生きる 桃源郷伝説」を参考にしています。
日本中医薬研究会に所属していて、本当に良かったです。
このような、素晴らしい雑誌が毎月 読めるなんて。。
この雑誌は、今のところは 非売品で、
日本中医薬研究会の会員店だけが 取り扱っています。
興味のある読者は、会員店に行ってみましょう!
(土屋薬局は、毎月 千部も来るのです。。)
では、チャイナビュー bQ0号より、引用しましょう。
(日本中医薬研究会の先生方、イスクラ産業のみなさま、ありがとうございます)
鳥が歌い、深緑の中に桃の花が咲き乱れ、清らかな川が流れる。
争いも欲もなく、おだやかで平安な日々が過ぎてゆく夢の楽園「桃源郷」。
俗世間を離れた理想郷を指す言葉として知られる桃源郷の由来は
六朝時代の東晋の有名な詩人、陶淵明(365〜427年)が歌った「桃花源記」に端を発している。
中国には この理想郷のモデルとして江西省や安徽(き)省などに「桃花源」と名のつく地が四ヶ所もあるが、
湖南省の省都・長沙市の北西にある桃源県だけが、政府に公認されているのだ。
約1600年も前に生まれた桃源郷が、今も私たちの心をとらえて語り継がれているのは、
いつの時代にも理想の楽園を求めざるを得ない、人の世のはかなさからきているのかもしれない。
略
この「桃花源記」の作者である陶淵明は、貧しい家に生まれ、親に請われて役人になったが、
農民を圧迫して重税を課し、汚職がはびこる役人暮らしをやめて各地を放浪。
晩年は乱世を憂えて隠居し、畑を耕しながら詩を創作した。
酒と自然と詩を愛し、孤独と清貧のうちに その生涯を閉じたと言われる陶淵明が心に描いた、幻の理想郷。
陶淵明のもう一つの代表作「帰去来辞」には、
「どんな場所に住んでいても心の持ち方ひとつで、静かに自分の人生を見つめることができる」と歌われている。
戦乱の時代に生まれた陶淵明は、自然と向き合う晴耕雨読の孤独な暮らしの中で、
やっと自分の心の中に桃源郷を見つけたのに違いない。