00/06/21
先週まで、ツバメがいました。
ゴミ投げ(山形ではゴミを捨てることを、投げるという)するために、ふっと空を見上げたら、電線にツバメが三羽止まっていました。
しばらく眺めていたのですが、ツバメたちはじっとその場を動かずに、三羽並んだままです。
その日は忙しかったので、あまり気にせずにツバメの観察を止めました。
次の日も、表に出たら、ツバメがいつもと同じ電線に三羽止まっています。
その日は、ちょっと離れた違う電線にも二羽ツバメが止まっていました。
ツバメたちは、空を見上げています。
何か探しているようです。
すると、一羽のツバメが空を舞って来て、そのツバメたちに口移しをしていました。
やっと事情が飲み込めました。
あのツバメたちは、雛鳥だったのですね。
親が四方八方に飛び回り、必死にエサを雛たちのために探しては戻り、エサを与えていたのです。
雛たちは、親鳥が戻るまで、仲良く空を見上げ、暇になるとお互いの体をぶつけ合って遊んでいます。
また、雛たちは、ちょっとずつ空を飛んでは、練習しているようでした。
その日、夕方の六時半を過ぎると、いつの間にかツバメたちは電線を離れ、居なくなっていました。
私が高校時代は、神町(じんまち)という奥羽本線にある駅から通学していました。
神町駅は、進駐軍時の名残がそのまま残り、駅の天井がもの凄く高いのです。
そのため好都合だったのでしょう、毎年、五月くらいからツバメたちが巣をつくり、飛び回っていました。
あのツバメたちも、巣はどこにあるか分からないのですが、午後になると当店の近くの電線に引越してくるようでした。
さて、今週になって空を見上げても、もうツバメたちは戻って来ませんでした。
どこか遠くへ渡ってしまったのでしょうか? (いま、ネットでツバメを検索したら、ヤクルトスワローズとか新潟県燕市などは引っかかるのですが、肝腎のツバメはよく分かりませんでした)
少し寂しい気持ちになる今日この頃です。
渡り鳥は、「気温」 「湿度」 「気圧」 などの動き―つまり「風」の情報を感じて、大空を飛び渡ります。
私たち、医療従事者も、季節の変わり目や、気候の変化をすばやく察知して、人々に伝える義務があります。
中国漢方には 「上工(じょうこう)は未病を治す」という考え方があります。
「未病(みびょう)」とは、健康と病気の中間地点という意味ですが、この時点で日頃の養生を気をつけていけば、ひどい病気にならなくてすみます。
私も 「風」を感じられるように努力していきたいものです。 (^^)
ツバメが消えた日追記(03/05/27)
ツバメを撮影しました。
スーッと空を軽やかに飛ぶ姿は、あざやかです。
さくらんぼやりんごの花が散って、寂しさを覚える頃、
ツバメは上空から舞い降りてきます。
ツバメを見るたびに、新しい季節の到来を感じます。
どこからやって来て、どこへ行くのか?
古代の人たちは、そんなツバメを観察して、
「神の使者」であるとして、敬ったのでしょう。
さくらんぼの実も少しずつ大きくなり、
だんだんと色づき始めます。
もう少しで 山形は初夏の彩りとなります。
さくらんぼ畑の上では、
ツバメが空を舞っています。
農家の人たちは大忙しで、
私たちは暇になる、
そんな季節が今年もまたやってきます。
季節の移り変わりを、
空を見上げればツバメに教えられ、
通りを歩けば、さくらんぼに教わる今日この頃です。
(03/05/27撮影)