ツユクサ

マルク・シャガール展(2002・4・20―7・7 東京都美術館)とともに

02/09/17


メッセージ




私たちの祖父 マルク・シャガールの業績を代表する展覧会が
日本で開催されるにあたり、パリの国立近代美術館の重要な収蔵作品から
選び出された出品物に加えて、私たちの所有する祖父の絵画作品をお貸して
この展覧会に参加することは、名誉であり、また、よろこびでもあります。


私たちは、祖父の芸術的使命が、魔術のように四壁から湧き出てくる、
そのような家で育ちました。

私たちの毎日の生活には、それらの絵画が常に存在し、
浸透しているのでした。

一点一点の絵が、私たちに語りかけ、
私たちを守護するばかりか、
導いてくれるようにも感じられました。


《窓辺のリザ》の無言のほほ笑みにせよ、
《新聞売り》の あの深い悲しみに満ちた眼差しにせよ、
《カーネーションをもつベラ》の思いやりのこもった態度にせよ、
また、《墓地の門》の神秘にせよ、
みな、私たちを力づけ、気持ちを理解し、
祝福してくれるかのようでした。

祖父の絵は、いつまでも私たちにとって、
魔法の世界の表現として あり続けることでしょう。

芸術上の、そして、絵画上の達成であることのほかに、
祖父の描いた絵の中には、
私生活と家庭生活の記憶が棲みついているのです。


日本での最初の回顧展が行われ、画家シャガールに対する
日本の皆様の熱情が生まれたのは、
今から ほとんど40年の昔になります。

皆様の熱情のおかげで、以来、
数多くの展覧会が シャガールのために日本で実現されました。


今回の大展覧会は、日本の皆様とシャガールとの間に、
新たな対話が具体化される機縁となり得るのではないでしょうか。


これらの強烈な色彩の作品群を前にして皆様の眼が輝き、
もの言わぬシャガールの絵画が 詩と隠喩にとによって伝えられる
「愛」と「平和」のメッセージによって、人々の心が和らげられ、
勇気と寛容とが強化されることを 私たちは祈ります。


日本とシャガールとの この出会いが、
歌いだしたくなるような幸福感に満ち、
魂が奥底から清らかなる、その機会となりますように。



ベラ・マイヤー
メレット・マイヤー・グラベール



シャガールは、愛の人である。


絵画の中では、人やロバ、馬、魚、鳥たちが
楽しそうに 愛の中に 空中浮揚を始める。


妻であったベラは、美しく、やさしく シャガールを守り続ける。


あざやかな色彩には、心地よいリズムが流れる。


マルク・シャガールは 1887年、ロシア系ユダヤ人として ヴィテブスク(現・ベラルーシ共和国)に
生を受け、1985年に 南フランス・ヴァンスで97歳で生涯を終えた。


シャガールが生まれた時代には、ユダヤ系ということで
生まれ故郷のロシアでも苦労し、やがては 戦争の渦が シャガール自身を苦しめていく。


パリに移り住んでいたシャガール一家は、迫り来るナチスの迫害から逃れるため
自由の国 アメリカ・ニューヨークへと大西洋を渡る。


しかし、1944年9月2日に 生涯最愛の妻ベラは、娘イダとシャガールを残し
天国へ旅立ってしまった。



ベラとシャガールの出会いは、1909年。

シャガールが23歳のときだ。


ヴィテブスクの友人 テア・ブラッハマンの家で、
裕福な宝石商の娘 ベラと運命的に出合ったのだ。


そして、1915年に ヴィテブスクで シャガールはベラに再会し、
同年 7月25日に ベラと結婚した。


「誕生日」という絵がある。


この絵は、実は2枚存在している。


1枚は、ニューヨーク近代美術館が所蔵していて、
昨年 上野で開催された MOMA展でも、公開されていた。


描かれているのは、1915年7月7日、シャガールの誕生日に
婚約者 ベラが部屋を訪ねてきた場面である。


結婚式を間近に控えた シャガールとベラは、
愛の力で 空を舞い上がる。


前回のニューヨーク近代美術館展では 1915年作成の この絵の素晴らしさに感動していた私は、
今回 再び シャガールが1923年に寸分違わぬ 「誕生日」を描いたものを鑑賞できて、
さらに思い入れが深まったのだった。


シャガール自身が、妻ベラとともに 愛蔵し続けた記念碑的な作品 「誕生日」。



ああ、シャガールよ、ベラよ。



絵とは、愛である。

絵とは、愛する人、愛する家族の歴史である。

絵とは、ユダヤ民族の魂であり、ロシアの文化だ。





ふだん、山形の田舎に住んでいると、
東京に住んでいたときよりも、絵画展や舞台、コンサートなどに憧れます。


私は、シャガール展は なんと2回も観に行きました。


素敵です。シャガール。


若いころは、かっこよく、年老いても 純粋な あなたの瞳には
感動と憧れを抱きます。


シャガールの絵を観ていたら、
私も 恋をしたくなった。


さて、この日は 7月7日。

シャガール展の最終日です。


七夕の日でもあり、奇しくも シャガールの 「誕生日」でもあります。


真夏の上野公園。


東京の紫外線に汗を流しながら、
一路 東京近代美術館を目指す私の目に留まったものは。。





2002年7月7日撮影。
場所:上野公園のシャガール展の看板の左下。
撮影者:シャガールとベラの愛が好きです。土屋幸太郎



ツユクサです。


シャガール展の看板の隣の下には、ひっそりとツユクサが咲いています。


大勢の人たちが、真夏の日曜を歩いていくが、
誰一人も ツユクサを見てくれません。


上野公園は、桜だけではないのですよ。


人間の愛や心の豊かさは、自然と触れあうことから始まります。



「あの人、ツユクサを撮影しているのね〜」


おばちゃんの声を聞きながら、汗を垂らして撮影しました。


このコラムを読んでくださる読者の皆様は、
もし覚えていましたら、来年の暑い日には
ぜひ ツユクサを撮影してください。

添付ファイルでメールして頂きましたら、
はい、このコラムの続編を創ることを 誓います!


私、雑草の味方です。






ここは、土屋薬局 中国漢方通信。

漢方コラムでは、お馴染みの 大塚敬節先生の 「漢方と民間薬百科」より
ツユクサを紹介していきましょう。



ツユクサ 露草 (ツユクサ科)


別名 鴨跖草(オウキソウ) アオバナ ウツシバナカマツカ ツキクサ


▲アケズ(ジ)グサ(秋田 宮城) アッケグサ(山形) カシワ カマクサ(愛媛) ギイスグサ(岡山) 
ギスグサ(静岡 和歌山) シバモチグサ(愛媛) ジロウタロウ(福井) スズムシグサ(鹿児島) ダブリグサ(秋田)
ダンブリグサ(青森 秋田) チンチロリングサ(福井 鹿児島) トンボグサ(宮城 会津 長野 日光 群馬 福井 岐阜)
ニワトリグサ(愛媛) ネゴノベベ(青森) ハナガラ(東京 埼玉 山梨 福井 大分) ハマリグサ(千葉)
ベベッチョバナ(長野) ホウタログサ(三重) ホタルグサ(会津 茨城 千葉 東京 埼玉 長野 福井 和歌山 愛媛 平戸 鹿児島)


薬用部位 全草


薬効 結膜炎 ぜんそく 心臓病 はれもの


使用法


1 結膜炎

昔は、ツユクサで染めた青い紙があって、
その紙を水にひたし、その水で目を洗ったが、
ツユクサの花をとって よく洗い、その汁をしぼって洗眼してもよい。


2 ぜんそく

生のものは、一日量として小皿一杯を一回に食べる。

乾燥したものは、15gを せんじて 飲むとよいという。

長塩容伸君の経験による。


3 心臓病

乾燥したもの15gを一日量として、せんじて飲む。

尿の出をよくして、浮腫を去る。


4 はれもの

生の葉、茎を いっしょにしぼって汁をとり、患部にぬる。



ツユクサ料理で、ぜんそくがなおった話


長塩容伸君の 「薬草の知識と効用」に、次のような記事がある。


「昭和15年ごろ、私の家の近くを、金太郎あめを売り歩く 60才くらいの老人がいて、
ぜんそくがあるうえに心臓も悪いので、
漢方薬も ときどき飲んではいるのだが、
いっこうに ききめがない。

なんとかしてくれないかと哀願されました。


そこで、ツユクサを生で食べたり、ひたし物か、みそ汁などにして毎日食べるようにと、
くわしく教えてあげました。

ところが、半年くらい経ってから、栃木県の在から手紙が来て、
あれ以来、おかげで すっかり元の健康体にもどり、
小学校の小使いに奉職できて喜んでいるとのことでした」





シャガール展を観た後は、何か 探検をしたか、旅をした気分になった。


絵を見れば、その人の人生が分かり、
時代が映る。


ピカソもマティスも、カンディンスキーもダリも みんな偉大です。


私も、人生を真剣に生きてみたい。


愛が偉大なんだなあ。

愛の力。

愛の奇跡が、シャガールにある。


一人、ポツンと歩いていたら、何故だか急に 上野の空がポッカリと大きく見えた。


いつの日か、あなたも 愛の力で空を舞い上がってみませんか?