私の一冊 「日本の川を旅する カヌー単独行

04/02/25



「日本の川を旅する カヌー単独行」


日本やユーコン川など世界の川を旅する野田知祐さんを代表する名作です。


私とこの本の出会いは、今から14年前の平成3年ごろです。


当時、東大附属病院薬剤部の研修生だった私にとって、
学芸大学から本郷三丁目までの電車は 読書をするのにちょうど良い環境でした。

バブル時代真っ盛り時代で不動産を持っていれば資産価値が上り、
世の中すべてが高級志向に向かっていました。


そのような時代に青春生活を過ごした私にとっては懐かしい本であり、
思い出に残る本です。


ニューヨークへ初めて海外旅行をしたときにも、
「日本の川を旅する」を持参していましたから、
ホテルの一室で深夜に読んでいると 信濃川などの美しい日本の風景の描写が
心に染み込んできたことを今でも覚えています。


今回、天空の記事として「私の一冊」に選びましたから、
改めて数回読みなおしましたが、いつ読んでも新しい発見があり、
自分自身の人生を見つめなおす良いきっかけになりました。

(本にボールペンで印をつけながら読んだのは、
中学校のときに植村直己さんの「青春を山にかけて」以来です)





いざ原野の光の中へ

テントの外で夜通し鳥が鳴いた。

屈斜路湖畔の第一夜。北海道の夏は午前三時には東の空が明るくなる。

焚火を起こし、熱いコーヒーを啜った。一面の濃霧。

七月だが朝夕はセーターにジャンパーを着込むほど寒い。

八時頃、雲が晴れて青空がのぞいた。(釧路川)



明日、私は誕生日を迎えます。

20歳のときに読んだ感動と興奮が蘇り、
なおかつ何の進歩も自分にはなかったのでないかと自問自答さえしました。

しかし、この本を読み込んでいますと男として自分に責任を持ち、
夢とロマン、勇気と希望を抱き、何事においても困難な状況に置かれたとしても、
前向きに切り開くべきだと思うようになりました。





体が川のリズムを掴み、川底の凸凹の一つ一つを肌で感じる。

時々、パドルを水に立てて水深をはかる。

深さが判ると、ぼくの頭の中で川の立体的な地図ができるのだ。(長良川)



出発。地図に書き込んだ急流のルートもよく見て、一つ一つ漕ぎ抜ける。

白く波立つ難所を抜けた後の恍惚と不安。

そして、漕ぎ抜けた後の高揚と虚脱。(中略)

あらゆる型の急流があった。

川下りの教習場のような川だ。

どんなに下見をしても、二、三割の不確定要素は残る。

何回か川下りをやると、運命論者になるのはそのためだ。

沈する時はするさ、仕方がない。

川とのかけ引きを楽しむこと。

相手の強いところはかわし、弱点をつくこと。(江の川)





私がもし違う人生を歩むとしたら、「川の上を行く男」、
自由に生きていく「風の男」になりたいですし、憧れます。

きっときっと、そのような羨望と憧れや、川旅の単独行や男の世界、
日本の山川を愛する気持ちなどの野田さんの世界に引きつけられ、
私はこの本を愛しているのだと思うのです。



ヒマらしい駅員が数人、荷のまわりに集まったので、
しばらくカヌーのレクチャーをする。

「ひっくり返らねべか?」

「時々はね。その時は岸に着けて、水を出してまた乗ればいい。
濡れても困るものは防水袋に入れておくから、どうってことはないですよ」

「小(ち)っちぇくておっかねな」

「小さいから軽くて良いんです」

「グンラグンラするべ」

「ぐらぐらするから動きが自由なんですよ。大きなフネは安定しているから、
少しも自由に動けない。面白くないでしょう」

不安定な自由をとるか、不自由な安定をとるか、それが問題だ。(雄物川)



ああ、不自由な安定をとった私にとっては、まぶしいばかりの一冊です。

理想と現実のはざまを突いていくるような、
少年時代の一日が長かった夏休みをプレゼントされたような一冊でした。


人生は川の流れのようでもあり、
流れに身をまかせることもあり、
時には逆流を乗り越えていくこともある。


野田さん、あなたは偉大です。


H16・2・21 熱海へ向かう新幹線の中で 土屋幸太郎

(「日本中医薬研究会内部誌「天空2004年3月号」」に掲載予定の原稿をアップしました)