長征 遥かなる道

2001/02/08



「北京便り 消えゆく街並み」の最後の文章で、「ビザには 2種類ありますよ。」
と書き込みました。


私のような 普通の人は、「L ビザ」です。

これは、「リミティッド」の L ですね。

入国できるのですが、これは
「あなたは、3ヶ月間だけ、中国国内に滞在していいですよ」という意味です。

これは、とても面倒くさいのですが、中国旅行に行く前には、
中国大使館に申請しなければなりません。


もっとも、私の場合は いつもツアーみたいな企画ですから、
旅行業者の人たちにお世話になります。

前もって、郵便書留に パスポートを大事に入れて、JTBなどの支店に送ります。

しばらくすると、パスポートに ビザが貼り付けられて、送られてきます。

私は、いつもビザを見るたびに思うのですが、
中国大使館の外交官たちは サインばかりして 腱鞘炎にならないのだろうか?
と人事ですが、心配してしまいます。



一方、ビザには もう一種類あります。

「F ビザ」です。

「フリー」の ビザです。 

ああ、「フリー」って いい響きですね。

しかし、この 「F ビザ」は 通常なかなか手に入れられません。


そうです。


「F ビザ」は、我々 庶民には 一生無縁なのです。

外交官くらいしか手に入れられないものです。


それは、そうでしょうね。

中国に無制限で居ていいですよ! なんて、なかなか 無いですよね。


憧れます。


「君は、L ビザだけど、僕は F ビザなのだ。」

「だって、中国は、僕を必要としているから。」

なんて、一度でいいから、言ってみたいものです。


民間人で 「F ビザ」を持ちそうな人は、
平山郁夫さんのような 日中友好の掛け橋となるような方だと思います。



ところが、私の知り合いの先生で、 「F ビザ」を見事に持っている方がいます。


その先生は、今から約30年前に 中国に渡りました。


そこで、ご自身の体調を整え、なおかつ 中医学院で勉強され、
中医師(中国の漢方医師の国家資格)を お取りになった素晴らしい先生なのです。

この中医師(ちゅういし)という資格を取るのは、
現在では とても大変なことです。



まず、当然ながら 中国語の読み書きが出来なければなりませんから、
最低 一年間は 中国語を教える 「語言(ごげん)学院」で勉強しなければなりません。


中国語の読み書きが出来るようになったら、
北京中医薬大学や上海中医学院、南京中医学院、 雲南中医学院など、
中医(ちゅうい)の大学に入学します。


そこで、優秀な学生たちは、
中医学各論などの基礎理論や 老中医について実際の漢方治療を学んでいくのです。

現在は、中医の病院でも 西洋医学による最新の検査器具を揃えていますので、
当然、西洋医学の勉強も 西洋医師と同様に勉強しなければなりません。


これらの専門的な教育を 彼らは(彼女たちは)、6年間受けます。


ですから、日本人が中国国家資格である 「中医師」を取得するには、
中国語を学ぶのに1年間、中医学院で勉強するのに 6年間。。。

留年しないで、無事に進級していっても、実に 7年間かかりますので、
苦労がいる話なのです。



そもそも、日本で漢方の大学教育が無いのに、
何故?中国には中医薬大学などの専門機関が各地に存在するのでしょうか?


これから、その秘密を 「中国漢方通信」の読者のみなさまだけに 公開しましょう。



過去の中国は 医学の発展が遅れていました。

そのような時代には、草医(そうい)、つまり「はだしの医者」たちが
農村で活躍していたのです。

いわゆる漢方薬を利用したり、中国伝統の生薬、民間の秘伝薬などを利用して
庶民の悩める疾患を治していったのです。

そんな治療を受けたり、施した人の中に
毛沢東(もうたくとう)主席と周恩来(しゅうおんらい)首相もいたのです。





周恩来元総理の本です。

「周恩来―不倒翁波乱の生涯」 
著者:ディック・ウイルソン 訳者:田中恭子 立花丈平 
且梹亦ハ信社 1987年発行

「周恩来伝」の決定版ですが、
私は 周恩来元総理の顔が好きです。

なんて、知性があって、凛々(りり)しい顔でしょう!



はい、表紙を開けると、
このような素晴らしい写真が満載です。

(時事通信社さん、ありがとうございます。引用させて頂いています)

一番上の写真をご覧ください。
ソ連訪問から帰国して、毛沢東主席に迎えられる周総理です。

無事に、大任を果たして、にっこりです。



もう一冊、素晴らしい本を紹介しましょう。

「長兄―周恩来の生涯」
著者:ハン・イースン 訳者:川口洋(ひろし)・美樹子
叶V潮社 1996年発行

この本も、「周恩来伝の決定版!」です。
映画「慕情」の女流作家が 実体験をもとに描く、
愛情あふれる一冊です。


さて、毛沢東主席と周恩来総理の辿った道を追ってみましょう。
現在の中医学が生まれた源流が分かります。






今は、1934年の中国だ。


10月16日に、中華ソビエト共和国の夢破れた周恩来は、
江西根拠地を後にし、紅軍を率いて戦略的撤回を始めたのだった、

列強や軍閥、資本家たちから中国を救うために立ち上がった周恩来は、
革命のために 国民党と合作したのだったが、
蒋介石率いる国民党軍に ついに追われる立場となっていた。


これが、後に世界中に知られることになる「長征(ちょうせい)」である。


長征が11省にわたる一万キロメートルの、雪山や激流を越え、沼や森を通り、
匪賊地帯や少数民族地区へ、
そして自分の尿を飲んで生きのびるしかない乾燥地域へというような行程になろうとは
知る由もなかった。

このとき、周はベルギーほどの大きさの根拠地を捨て、
一年にわたって、ロンドンから東京まで、
あるいは ニューヨークからリオデジャネイロまでに匹敵する距離を
歩く旅に出発しようとしていたのである。

(以上の文章は、「周恩来―不倒翁波乱の生涯」を参考にし、また一部の文章を引用しました。
ありがとうございます。)




さて、ここは 「中国漢方通信」ですから、
歴史の話題は これまでにしますが、
「周恩来―不倒翁波乱の生涯」と 「長兄―周恩来の生涯」の2冊の本から、
興味深いエピソードをお届けしましょう。

そして、「何故?中国には中医薬大学などの専門機関が各地に存在するのでしょうか?」
を解明していきましょう。




まずは、「周恩来―不倒翁波乱の生涯」 11:長征 1934〜1936 128ページより


ある会議で毛と張が言い争っている間、周は一言も発しなかった。

そして毛児蓋(マオアルガイ)で決定的な政治局会議が開かれたとき、
周は39度5分の熱で休んでいた。

翌日、彼の声は弱々しくなり、うわ言を言いはじめた。

医者は当番兵に山から 雪をとってきてタオルをつけ、
それで熱を下げるように言った。

3日目にやっと熱が下がり、4日目には普通の状態に戻った。


次に 周の護衛兵の魏がマラリアで倒れた。

そのうえ足も痛め、目も悪くして、しばらく盲目の状態になった。

「あわてては いけないよ」
と周は静かに言った。

「豚のレバーをさがして、塩を入れずにゆで、ゆで汁と一緒に食べるといい。
ほかに湯をわかして塩を少し入れ、
それに清潔な綿を浸して寝る前に目に当てるといい」。

これは すべて効いた。

移動のときがくると、周はこの若者を自分の馬にのせてやった。




上記の文章では、赤い文字が大切です。

周恩来は、雪を利用し 40度近い高熱を下げ、体力を回復しました。

護衛兵が盲目になった時は、豚のレバーをゆでて食べさせました。


雪の話は みなさまにもお分かりでしょうから、
豚のレバーで 盲目の状態を治した逸話について解説しましょう。




中医学では、
「肝臓は目に竅(あな)を開ける」と認識しています。

つまり、肝臓の疾患や弱りは 目に現れるのです。

昔は、検査器具などありませんでしたので、体表に現れた症状から
体の内臓の調子を推定したのです。

肝臓が貯蔵している「血液」が不足すると、"目が見えにくい、目がかすむ、ドライアイ”などの
目のトラブルが起こります。

これは、テレビのブラウン管に電気が流れずに、
うまく画面が写らないことに 例えられます。

不足している場合は、補うことが 中医学の基本です。

したがって、周恩来が部下の盲目になった状態に
豚のレバーをゆでて 食べさせたことは とても素晴らしいことなのです。

この治療法は、
「豚のレバーを食べると、肝臓に貯蔵されている血液が充実し、
その結果として、目にも肝臓からの血液が行き渡って、よく物が見えるようになる」

という理論なのです。

さすが、周恩来元総理。さすがです。。

目の疾患を目薬で治すのではなく、
肝臓などの内臓を治療することによって 改善していく。

豚のレバーなどは、「薬食同源」でして、とても目に良く、
しばし 眼疾患の治療にも 薬食同源の立場から 現在でも用いられています。


中医学には、
「血(けつ)は五臓六腑を養い、四肢百骸を滋潤し、もって体の営養となり、
人体の生理活動を維持する。
目は血(けつ)を得て視(み)ることができる、足は血を得て歩くことができる、
掌は血を得て握ることができる、
筋肉は血(けつ)を得れば衰えず、皮毛(ひもう、お肌のこと)は血を得て潤い 美しく輝き、
心(しん 精神活動のこと)は血(けつ)を得て聡明となる」

という古典があり、
これは 今なお 中医学の理論として重要なのです。




「長兄―周恩来の生涯」からも、感動的な逸話を紹介しようと思ったのですが、
長くなりましたので、次回 機会があるときにします。


周恩来元総理のエピソードや ここでは紹介していませんが、
毛沢東主席も 苦難の長征を行っているときに、
しかも 科学医薬品が無い、ピンチのときに、
これら 民間の「草医」の治療を受けたり、生薬などで病気を治していったとされています。


1949年10月1日に、
「中国人民は立ち上がった。
何人も二度と我々を侮辱することはできない」と
かつての紫禁城の表門に立った毛沢東は、中華人民共和国の建国を高らかに宣言しました。

その当時は 中医学は まだ民間治療の「域(いき)」を出ていませんでし、
迷信とさえ思われて 重要なものとは考えられていませんでした。

ところが、紹介したエピソードにありますように、
毛沢東主席たちは、
長征のときに 自分たちの命を救ってくれた 「中医学」を忘れることは 出来ませんでした。


「中医学は 中国人民の宝であり、人類の財産である。よって、祖国医学と呼ぶ」
と宣言し、中国全土の中医学理論を統一し、なおかつ 各地に中医学院を開校していったのです。

これは、21世紀となった現在でも 普遍の国家政策です。

(中国の中医学の本を読むと、序言に このような歴史が書かれている場合があります)









今回は、実は 気楽にパスポートの話を進めていく予定でしたが、
思いがけずに、「長征 遥かなる道」と題名が変わってしまいました。

いま、私が このように中医学を勉強でき、
なおかつ 日本国民の健康に役立つ仕事ができるのも
実は 苦難の人類史上に残る
「長征(ちょうせい)」のお蔭かもしれません。


今年も また できたら、、、
「L ビザ」で構いませんので
中国に行きたい!と思っています。


中医学は 素晴らしい。


多謝!