坂町の寺桜(熱海桜)

高橋相談役へ

02/03/10

高橋俊雄様


私は 薬科大学生の頃から、漠然と漢方に興味を持っていました。

4年生のときは、OBである日本漢方の先生の授業も受けましたが、
従来の日本漢方の陰陽、実証、虚証、六経(りっけい)の考え方に、
漢方とは いかに難しいものかと思いました。

大学を卒業してからは、東京大学医学部附属病院薬剤部で 1年間、
薬剤師としての研修を積みました。

当時は、医薬分業が 日本で初めて実施された時代でした。

外来の調剤では、ドクターたちの処方する漢方薬には
漢方とは たくさんの処方があることを知りました。

私の頭の中では、日本漢方を少しだけ勉強しただけですから、
もちろん その処方の意図することは 理解できませんでした。


東京で薬剤師としての専門性を磨く間に
高円寺に 中医学を研修する塾があることを知りました。


中医学という、初めて聞く 未知の学問です。


中銀マンションに住み、その上、教室もあり(洗濯機もありましたが)、
1階の漢方薬局では 実践の漢方を勉強できます。

猪越先生、川瀬先生、桂先生、松枝先生などの東京薬科大学の先生方、
中医師の康先生、胡栄先生などの日本を代表する講師のもと、
私たち 第6期生は 陰陽五行論の深遠な中国古代哲学に
足を踏み入れたのです。


最初は、初めて接する中医学に
頭の中は チンプンカンプンでした。

「これは、迷信であろうか? それとも科学であろうか?」

迷いがよぎります。


薬局では、マンションの下に高円寺店がありましたから、
いつでも生薬を見ることができ、
体を壊した時には 自分の体で 漢方を経験できます。


個人的な思い出は、6期生の仲間とともに
スキーに行ったことが感慨深いです。

私は コースを間違って、空を飛び、
肋骨の軟骨を痛めてしまいました。

東京に帰ってくると、康先生に そのことを告げると
康先生は 「田七人参合木香」を処方してくれました。

するとどうでしょう。

驚くべきことに、たった2日間の内服だけで 
つらい胸を襲う痛みが治ったのです。

自分自身の体験を通して、中医学の効き目の鋭さを知ったのです。


高橋相談役は、
「半年間、中医学を勉強すると、
だんだんと 中医学そのものが分かってくるそうです」と
いつも私たちを励ましてくれましたね。

私も
「本当に、自分も将来は 中医学を理解したい」と
と思っていました。


やがて、夏の休暇となり 私は実家の薬局に帰省しました。

もちろん、その当時は 私は実家の店頭では 働いておりませんでした。

さて、茶の間でボーっとしていると、
父親である社長が 店に来て欲しいと言います。


腰痛のお客様だそうです。

舌診(ぜっしん)をしました。

今でも覚えていますが、そのお客様は
舌は 紅。 苔は 黄膩(おうじ)でした。

私は 迷わず 潟火補腎丸をお勧めしました。

それから、東京の高円寺に帰ったあと、
父からの電話で そのお客様は、
1週間 潟火補腎丸の内服により 慢性腰痛が改善したことを知りました。


季節は秋になり、さすがに毎日、中医学を勉強している甲斐あって、
私の頭の中には 「中医学の城」が 築き上げられていったのです。

中医学独特の用語も、中医学の思想も、
自分のものと なりつつありました。

このような素晴らしい、貴重な体験のもと、
私たちの人生の仕事が見つかっていったのだと思います。


高円寺塾を卒業してからは、
私は 1年半、マツモトキヨシで働きました。

将来、実家の薬局へ帰って 家を継ぐために、
今までとは まったく違う、実社会を経験したかったからです。


毎日、クリネックスやアタックなどの雑貨を扱い、
ほこりにまみれになりました。

仕事はハードで、腰痛になったりと、クタクタの毎日でした。


夜には、小岩の寮で、「中医臨床」や 脹朧英先生の「中医学概論」を
読んでいると、将来に対する漠然たる不安も消え、
気持ちが安らぎ、中医学の楽しさを味わいました。

今思えば、店頭での実践を積む前の漢方の読書も、
今の私を築き上げたのだと思います。


その後、私は 山形の実家に戻り、
現在は 国際中医師にもなり、毎日 数多くのお客様の
「健康をつくる漢方相談」をし、
とても充実した やりがいのある毎日を過ごしています。


今年から、土屋薬局は新店舗になり、
漢方相談がゆっくりとでき、気持ちも安らぎ 
居心地の良い お店になりましたので、
遠方からのお客様たちも 満足して頂いております。


最近、私が つくづくと思うことは、
中医学の西洋医学に対する優位性です。


痛み、しびれの相談。

ニキビ、湿疹の相談。

婦人病の相談。

胃腸疾患、体質改善など、
日本全国の多くの人々が中医学を求めています。


土屋薬局のお客様の中には、腎虚も血虚も気虚も
理解してくれる、中医学に魅せられた若いお客様も増えてきました。

彼女たちは、ドクター、薬剤師以上に漢方の知識を持っています。


分かりやすく、面白く、教養がつき、
自分の健康、家族の健康が守れることは
なんと 素晴らしいことでしょう。

私のホームページには、医師たちからもメールがきます。

いずれも、西洋医学のプロの先生たちですから、
西洋医学の限界を感じています。

私自身も、国際中医師となったこともあり、
ドクターたちとも話をしやすくなりました。

中医学という専門分野を持っていることは、良いことだと思います。


さて、今まで 私のことばかり述べてきましたが、
これも高橋相談役やイスクラ産業のみなさま、恩師の先生方、
また高円寺研修塾の先輩方、後輩のみなさまのお蔭です。

本当に感謝しています。


今日は、高橋相談役の卒業もかねて、全国よりたくさんのOBの方々が
この熱海に集まっています。

「友、遠方より来たる」

まさに、このことでしょう。

個人的に、高橋相談役との思い出は、数多くありますが、
ここでは長くなりますので、省略させて頂きます。


最後になりますが、「燎原の火」となりますよう、
「中医学の火花」を大切に守り、日本中に広めていきます。

高円寺の火種は、大きく、明るくなっていくことでしょう。

高橋相談役も、名誉相談役、永世相談役として、
いつでも会いたいと思います。


本当に、今までありがとうございました。

今日からが、新しい出発の日として、
また高円寺研修塾のなお一層の 更なる発展を祈念申し上げます。


多謝! 平成14年2月23日 熱海にて 

高円寺6期生代表 土屋幸太郎



春は、出会いと別れの季節です。

日本中の人々が、大学進学で故郷を離れたり、中学、高校でも
新しいクラスに胸が ときめきます。

新社会人として、働く人々も多いことでしょう。

さて、私たち中医学を学んでいる同志たちにも、
別れの季節が巡ってきました。


「月日は百代の過客なり」という 松尾芭蕉の言葉を思い出します。



平成14年2月23日撮影 撮影者 土屋幸太郎

熱海のホテル「貫一」前の 「坂町の寺桜」

山形は、雪が降っているというのに、
何故?こんなに桜が早く咲いているのでしょうか?


今日は、私の恩師 高橋俊雄塾長の卒業式です。


イスクラ高円寺中医学研修塾という 中医学の研修塾に、
私は 平成5年に 第6期生として入学しました。

今 勉強している子たちは、第15期生ですから、
高橋塾長は 15年間もの長い間、
中医学研修塾の責任者として 私たちの面倒を見てきたのです。


高橋塾長は、現在 67歳だそうです。


イスクラ産業の会社の役員の退職年齢も過ぎ、
とうとう 仕事を辞める同時に
高円寺中医学研修塾の塾長も 辞められる決心をされました。


私たち、高円寺塾を卒業した仲間たちは
「まだまだ がんばって頂きたい」
というのが、本当の気持ちです。


が、しかし、とうとうこの日を迎えることとなりました。


「光陰矢のごとし」


私が 高橋塾長に初めて会ったのが、24歳でした。

もう あれから、だいぶ経つんだ。




6期生の仲間。

雪降る山形から、はるばる熱海に来て、
「寺町の桜」に目を奪われていました。

ここ数年間は、高円寺研修塾の同窓会、兼勉強会は、
熱海で行われています。

しかも、ホテルは いつもお馴染みの「貫一」です。

ホテル「貫一」前には、道路を隔てて 可憐な「坂町の寺桜」が
毎年 もう2月には、満開となっています。

バシャバシャとデジカメで撮影していると、
タクシーのドアがバタンと開きます。

「ツチオ〜〜!! そんな所で、何やってるのお〜〜」

「君は、本当に 変わらないんだね〜〜」
とカバンを手に
姉御(あねご)たちが、叫んできます。


懐かしいですね。


例年、毎年2月には、全国に散らばった 中医学の仲間たちが、
同窓会を開きます。

お世話になった先生方も、集まります。


近況報告や中医学の情報を交換し、お互いの友情と絆(きずな)を さらに深めていきます。

楽しいですね。

まさに 「友、遠方より来たる」です。


今年は、その同窓会に 高橋塾長の卒業式も兼ねていたのです。





「坂町の寺桜」

明治14年(1881年)、現在地(咲見町)移るまで
此処に 医王寺がありました。

明治の初め頃に、
寺の境内に植えられたうちの1本と 言われています。

この桜は 「大寒桜」という品種で 樹齢およそ130年、
熱海桜が終わる 2月中旬から
染井吉野桜が始まる頃まで 咲き続けます。

この桜は 昭和19年(1944年)の 「本町大火」、
昭和25年(1950年)の 「熱海大火」を生き抜きました。

坂町とは、当時この辺りの地名です。

管理者 熱海観光施設課


高円寺で、中医学を勉強している時は、公私共々 本当にお世話になりました。

ここまで、私たちがこれたのも、高橋塾長のお蔭です。


また みんなで焼肉を食べに行ったり、「桃太郎寿司」でご馳走になったり、
とびきり おいしい日本酒を教えてもらったりしましたので、
少しは おいしい味を覚えたかと思います。


高橋塾長は、良い人ですから
みんなで一緒に酒を呑んでいるとき、
通常であれば 私たちが買い物に行くべきですが、
思わず 自分で、お酒を買いに行ってしまいます。

焼き芋屋さんが通れば ニコニコして 焼き芋を買ってきたこともありました。


高円寺の阿波踊りを私たちが踊れば、ニコニコして見物しています。


そういえば、一番と最初の頃には、
「矢切の渡し」にも みんなで連れて行ってもらいました。

浅草観光に行く日は、高円寺駅を出発すると、
茶色のベレー帽に 首からカメラをぶら下げた 塾長が付き添います。


山手線でした。

車内の他の乗客の視線も無視しながら、
私たちは 照れながら、塾長に写真を 撮影してもらいましたね。





熱海の青空に、「坂町の寺桜」は、大きく手を広げています。



高円寺塾を卒業した後も、大変お世話になりました。


私は、過去2回、後輩たちに OBとして講演しました。

その時も、私の講演の話を 塾生たちと聞いて頂き、
「いや〜、土屋さんは がんばっていますね。現役生たちの励みになりますよ」
と 暖かいお言葉を頂きました。

講演が終わった後に、塾長を始め、高円寺の後輩たちと飲んだお酒の味は
また格別でした。





桜は、特別な感情を思い出させてくれます。

不思議ですね。



日本中医薬研究会での 漢方薬局を特集する小冊子のため、
数年前に 一度、山形に 取材に来て頂きました。

土屋薬局を見て頂き、塾長からのインタビューを終えると、
2人で 山寺を登りました。


あの日は、確か 9月頃だったと思います。

山寺は、長い階段で知られていますが、
塾長は 何ともなく、そう 息を切らすこともなく、健脚を発揮して
山頂まで 登られましたね。

私は、東京の人の通勤で養った足腰は、凄いものだと舌を巻きました。


それから、塾長は 私の父と 大石田の手打ちそばを食べ、
その夜は、大石田の 「あったまりランド深堀温泉」に 一緒に宿泊しました。


おいしい食べ物、おいしいお酒。

そして、東京から 懐かしい塾長が来ていることもあり、
私にとっては、忘れられない一夜です。


朝に、塾長と2人で ご飯を食べているとき、
ちょうど テレビでは、朝のワイドショーをやっていました。

その当時の話題は、郷ひろみさんで 持ちきりでした。


離婚の話です。

あからさまに、プライベートを話す 郷さんや二谷さんの話を聞いて、
塾長は ポツリと、
「人間として、恥ずべきことです」と 言っていたことを いまだに覚えています。




月日は巡っても、毎年 桜は咲き続けます。


ここは、“土屋薬局 中国漢方通信”。

漢方コラムでは お馴染みの 日本漢方医学の大家 大塚敬節先生の
「漢方と民間薬百科」(且蝠wの友社。昭和41年発行)より 桜を紹介します。

(いつも、ありがとうございます)





サクラ 桜 (バラ科)


薬用部位 外皮をとり去った内皮(甘はだ) 花 実


薬効

はれもの じんま疹 水虫(汗疱状白癬) 魚、きのこの中毒 腸炎 酒の悪酔い
せき(咳漱) 皮膚炎(かぶれ) 肩こり しゃっくり(吃逆)


使用法


1 はれもの

甘はだ10gを 1日分として、せんじて飲む。

発病初期によい。

これで そのまま散ることがある。


2 じんま疹 水虫

甘はだ10gをせんじて飲む。

または、粉末にして 1日6gを飲む。

または、粉末にして 1日6gを飲む。


3 魚、きのこ中毒

フグ、カツオ、マグロ、毒きのこの中毒に、甘はだ10gを せんじて飲む。

葉を せんじて飲んでもよい。

または、スルメと甘はだを等量せんじて飲んでもきく。


4 腸炎

しぶりぎみの下痢に、甘はだ15gを せんじて飲む。


5 酒の悪酔い

酒の悪酔いには、皮を黒焼きにして飲むか、花を塩づけにして たくわえ、
必要のとき、湯に振り出して用いる。


6 せき

実をしぼった汁は、せきにきく。

また、甘はだを せんじて飲んでもよい。


7 皮膚炎

うるし、しらが染めなどに かぶれたときは、
甘はだを せんじて飲むとともに、
外皮とクルミの皮を せんじた汁で洗うとよい。


8 肩こり

急に肩がこったときには、
甘はだ15gと、クチナシの実8gを、いってから粉末とし、
少し酔うくらいに、酒で飲むとよい。


9 しゃっくり

甘はだを黒焼きにして飲む。




冒頭の手紙は、同窓会初日の晩に、総勢70名を越す仲間の前で
読み上げました。


山形から、熱海まで向かう新幹線で、書き上げた手紙です。


「土屋くん、長い手紙だったね〜」との評判でしたが、
うん、高橋相談役への手紙は、声に出して読むと、実は 長いんですね。


私たちの手紙を読んだ代表は、総勢4名。

私は、2番目でした。


唯一、心残りは、宴会が盛り上がっているときでしたので、
私は 酔っていたのですよね。


本当は、しらふのときに、読み上げたかった。。


また、本来は その場で手紙を 高橋塾長に差し上げる段取りでしたが、
さすがに新幹線で揺れた文字は、恥ずかしかったので、
まだ 手紙を差し上げていないのです。


ですから、今回は 私のホームページ上に 清書しました。


いつの日か、プリントアウトして、塾長に見てもらおう。



高橋さん、あなたは偉大な人でした。


あなたのように、誠実に 正直に生きていきたいです。


私は、漢方相談をして 
山形や全国の皆様のお役に立ち、
そして喜んでいただくことが、恩返しになると思っています。


どうぞ、お元気で。

そして、これからも どうぞよろしくお願い致します。


いつの日か、高崎さんと一緒に 山形に遊びに来てください。


私も、高橋さんのような人になりたい。