国際中医専門員への道3

01/12/24



国際中医専門員試験を勉強していた頃の話です。

(過去の話は、漢方コラム 35話 「墨田の花火」36話 「国際中医専門員への道」40話 「国際中医専門員への道2」を参考にしてください)


9月23日、24日と、2日間に渡って、東京国際フォーラムで 北京からの試験官の先生を迎えて、
1科目が 実に2時間という、壮絶な試験を行いました。

最後は、高校受験、大学受験、薬剤師国家試験と同じく、
気力と体力の勝負となってしまいました。


今年の3月には、わりと気楽な気持ちで、いざ!となったら勉強しようと思っていました。

そうこうするうちに、あっという間に 月日は流れ、夏の7月、8月は、
我らが 「葵睦会」の神輿を担ぎながら、祭りの無い日は 蝉の声や夜の虫の音を聞きながら、勉強していました。

元来、私は真面目なタイプですから、最初からきちんと勉強しないと嫌だったので、日本語の教科書では、
「中医臨床のための中薬学」 「中医臨床のための方剤学」 「中医学の基礎」 「中医診断学ノート」 「いかに弁証論地するか」などと、1冊ずつ読破していきました。


中医学は、膨大な経験と知識が必要なので、私たちの人生で読める本は 限られています。

ですから、教科書とする本も、吟味しなければなりません。




これらの教科書は、中医学を学ぶ者の必須事項となります。

神戸中医学研究会の先生方の労作です。

右上の画像をご覧ください!分厚いでしょう!
これを1冊ずつ、読破し、暗記します。




左上の本は、「いかに弁証論治するか」です。私の恩師 菅沼栄(胡 栄)先生の力作で、
「中医臨床」という素晴らしい雑誌に連載していたものを加筆したものです。

私は、この本が好きで、今でも愛読します。(^^)


真ん中の本は、私の恩師 内山惠子先生の力作です。
南京中医学院に留学してたころの、授業ノートをまとめたもので、
この本も 日本中医学界の傑作です。

この本を読まずして、実践は行えません。

東京は、高円寺の「イスクラ高円寺中医学研修塾」で、1年間かけて、
亀戸の 偉大な松江先生から 習いました。


右上の本 「中医学の基礎」は、実は 今回の試験用として購入しました。

著者の一人は、私がいつもお世話になっている、読売新聞 「漢方漫歩」で有名な 路 京華先生です。




これらの教科書を必死になって、読んでいると、著者の先生たちが知り合いなので、
当然、必然的に 先生方の顔が 行間から浮かんできます。


先生たちから、習ったことや、会話したこと、一緒に「水餃子」などをつくって、食べたことなどを思い出すと
懐かしくなってくるんですね。


東京の高円寺で、中医学の研修塾に入っていた頃は、星薬科大学を卒業して、
その後 1年間、東大附属病院薬剤部で研修が終わった頃でしたので、
頭の中は バリバリと西洋医学で固まっていました。


そんな中で、「陰陽五行理論」から始まる 深遠な古代哲学の「中医学」の授業が、
日本を代表する先生のもとで、行われました。


前述した、菅沼 栄先生からも、教わっていましたが、最初のうちは カルチャーショックを受けました。


「五臓とは、肝・心・脾・肺・腎」で、「六腑では、五臓に対して、胆・小腸・胃・大腸・膀胱・三焦があります」

「肝は、四季では 春に相当し、方角では、東で、色は青色です。肝の五味は、酸味で、筋をつかさどり、目に穴を開けます」


西洋医学にコチコチの頭の中は、「?????」


ただし、私は 最初の訳が分からないうちから、これは「面白い」し、「素晴らしい医学だ!」と思っていました。





このような授業は、週に3日間。

漢方薬局で 煎じ薬の調合をしたりしたり、実践での中医師の先生の漢方相談を見ることが、残りの3日間。


イスクラ漢方薬局では、薬剤師の先生方の臨床の話を聞いたり、実際に 中医師の先生の処方内容などを見れましたので、すごく勉強になりました。


菅沼 栄先生は、北京出身の才女でありますが、処方内容も 「美」を感じるほど素晴らしかったです。

(「いかに弁証論治するか」を執筆された、菅沼 栄先生と菅沼 伸先生は、実は 夫婦です。
お2人の出会いは、菅沼 伸先生が、北京中医薬大学に留学していたころに遡(さかのぼ)ります。
愛を深めた先生方は、めでたく結婚され、本名 胡 栄先生は、苗字が変わり 菅沼 栄先生となったのです)


夜は、私のときは、同期生が8人いたので、みんなで酒を飲んだり、カラオケに行ったり、
夕飯を食べたりしていました。


同期の絆(きずな)は、こうして深まっていきます。


日曜日は、月に1回は、三鷹にあった北野テニスコートで、みんなで猪越(いこし)先生を中心に ダブルスの試合です。


燦々(さんさん)と晴れた お日様のした。

隣のコートでは、外人さんたちも いっぱいる。

テニスが終われば、吉祥寺の居酒屋で、おいしいビールを飲み干します。


そういえば、中野の丸井のボーリング場にも、よく行きました。

男女混合ペアのダブルスで、ボーリングのスコアを競います。

賞品を 1等から、ブービー賞まで 自分たちで用意してますから、楽しみなんですよね。

ちゃんと、トロフィーもあって、優勝者ペアの名前を記入していました。


この前、高円寺の研修塾に行ったら、まだ 優勝記念トロフィーが 教室に飾ってありました。





1日の仕事が終わり、机に向かって、教科書を広げると、過去の思い出が頭を過(よ)ぎる。


仲間たちの笑顔が、浮かんでは消える。


あいつは、どうしてるかな? 元気かな?


子供も、大きくなって大変かな?


1回、みんなでもう一度、集まりたいな。


金は、あまり持ってなかったから、慎(つつ)ましい暮らしだったけど、夢と希望があって、楽しかった。


勉強が 懐かしい思い出で いっぱいになるなんて、「中医学」とは 凄いものだと真面目に思った。





高円寺で、勉強していたころに、そいつは同じ寮には 入っていなかったが、
いつも つるんでいる奴がいた。


吉祥寺の 「伊勢屋」なんかの焼き鳥を食いながら、安酒のコップ酒を 二人で呑む。


あいつは、笑顔が最高によかった。


やさしさが滲んでくる顔で、ギャグがうまくて、薬剤師のおばちゃんたちには、モテモテだった。


「土やん、、おまえ、弁証論治でいうと、何から中心に考えていく?」

「そうだね、俺は 脾胃から考えるのが好きだなあ」

「うーん、土やんは、やっぱり脾胃から考えるんだ。意外だなあ。でも、胃腸って、すべての基本だもんね」


伊勢屋のおやじが持ってきたコップには、ひびが入っていた。


「親方〜、ひびが入ってますよ〜」

焼き鳥屋の親父が言うには、「伊勢屋のたたりじゃ〜〜」





奴は、中医学の勉強をしていると、なぜだか いつも顔がちらつき始める。


夜 寝る前に、本を開くと、奴の笑顔が浮かんでくることもあった。


奴は、すごく中医学が好きな男だった。





でも、今では、もう会うことは 二度とない。


奴は 冬の寒い季節に、不慮の事故で亡くなって、天国に行ってしまった。


そのことを、今年の1月に私が知ったとき、最初は嘘だろう?と疑っていた。


ところが、どうやら本当らしいと知ったときは、私は 人目があるのに わんわん泣いてしまった。


奴は、どんな気持ちで天国に旅立ったのかな?


なんでもいいから、もう少し 奴と話をしたかった。


最後に 奴に会ったのが、奴の結婚式の二次会だった。


山形から、私は はるばる銀座の二次会だけに行ったのに。。


彼は 最後は無念の思いだったに違いない。


もっと 好きな中医学を勉強して、店頭で実践して、学んだことを生かしたかっただろう。


残念に思っているんだ。





毎晩、朝の3〜4時まで、必死になれたのは、奴が勉強できなかったことも、
奴の分まで、そう 2人で一緒に勉強しようと思ったからなんだ。


奴が やりたくて、やりたくて、結局は やれなかった中医学。


私は今、こうして生きているからこそ、中医学を勉強できて、実践している。


奴の中医学に対する愛情の気持ちを込めて、中医学を勉強すれば、奴も天国で 喜んでくれるかな?





国際中医専門員試験が終わった今でも、私は 気持ち的には、奴と一緒にいる。


奴の分も、奴がやれなかった分だけ、がんばって店頭で実践している。


私の漢方相談は、だから実際には 奴と2人でやっているのかもしれない。


今の自分の正直な気持ちは、生きている間は、ベストをつくそう。


今日が駄目でも、明日があるさ。




左上の画像は、高円寺研修塾の北京研修での一枚です。
明の十三稜だと思います。

右上の画像は、菅沼先生宅に研修生が遊びに行ったときの一枚。
右側手前の男前が、伸先生。
横が、栄先生。
厚木にお宅があるときでした。

同じ道を志す仲間がいるから、人生は素晴らしい。