会津を通って津南町のひまわり越後妻有郷

04/08/23






福島県の会津只見川沿いが好きで、しばし訪れていたのですが、
よくよく地図を見ますと、遥かなる山脈を越えますと、
そこは奥越後の十日町や松之山町が広がっています。


私は、以前から福島県の会津地方の、とくに奥会津の只見川沿いが好きでした。

私の住む東根市からは、県南の米沢を目指し、
米沢からは121号線の「大峠」を抜けますと、喜多方に到着します。


喜多方からは、坂下(「ばんげ」と読みます)から 49号線の新潟方面に向かい、
交差点のセブンイレブンのところから、一路只見川沿いに252号線を南下していきます。


252号線は、只見川と平行して走っているのですが、
道中には 柳津(「やないづ」と読みます)の福満虚空蔵尊をはじめ、
名湯 つげ義春の世界「西山温泉」や「会津玉梨温泉」などの素晴らしい温泉たちも点在し、
何回行っても飽きることはありません。


道沿いには、桐と栗の木のどちらかがあり、5月には会津名産の「桐」がきれいに咲きますし、
翌月の6月には、ぷーんと甘い芳香を漂わせて「」が白い花を咲かせます。




2003年5月27日撮影 福島県会津地方の西山温泉沿いを流れる滝谷川で撮影。
藤の花は、とてもきれいでした。





2003年5月27日撮影 同じく西山温泉に向かう途中の滝谷川に咲いている「桐の花」







桐の花のズーム撮影です。
いつの日にか、 「只見川の桐の花」または「会津の桐の花」という題名で
漢方コラムをを作ってみたいです。




只見川は、雄大に、ゆるやかに清らかな水を貯え、阿賀野川上流に向けて流れていきます。

早朝には、霧が立ち込めていて、ほんとうに妖精が飛んでいるようですし、
何より空気がおいしいのです。





2004年6月5日撮影 サワグルミの花と只見川 「我が心の故郷 只見川は祐久に流れる」


そのように、うっとりとしながら車を走らせていますと、
やがては金山町の河井継之助記念館あたりに到着します。

このあたりは、自然の宝庫です。


河井継之助記念館の前には、ゆるやかにS字をかいて流れる只見川が、
山並みを川面に対照的に写し出しています。

さらに車を進めていきますと、視界には、会津のマッターホルンと呼ばれる蒲生岳が飛び込んできます。


そこの奥には新潟県と福島県の県境があり、「八十里越」が見えます。

戊辰戦争のときに 越後長岡藩の総督 河井継之助が薩長の征討軍との戦いで
左足に銃弾を受け傷を負って、長岡から 敗残兵を集め 堕ち逃げていった峠として有名です。


「八十里越」は、現在は街道としては機能していませんので通過できませんが、
「こしぬけ武士越す峠」と 継之助自身が自嘲した峠が遥かに見え、
私もいつか機会があったら、走破してみたいと思っています。


(司馬遼太郎の「」という本も、機会があったら読破してみたいです)


ああ、「八十里越」。

幕末の夢とロマンや、戊辰戦争に負けた敗軍や傷ついた将兵たちの姿が浮かんできます。

継之助は、どんな気持ちで 越後からあの山深い峠を逃げて、ここ会津に来たのだろう。

すごく追い詰められた必死の思いと、同時に未来へのかすかな希望も持っていたのではないでしょうか?

(河井継之助は、その後ここ会津「塩沢」の地で 左足に負った傷により余命を迎えています。)







「八十里越」は通過できませんが、252号線は田子倉湖を抜け 「六十里越」となり、
新潟県に抜けていけます。

「六十里越」もまた 徒歩で旅した江戸時代に、一里が十里にも思えるほどの難所だったからです。

六十里越の先にある新潟県の小出は、明治を迎えるまでの140年間は
会津藩領として深く関わっていました。


今は、快適な道路が走っていますが、
それでもクネクネと曲がった山岳道を走り抜けていきます。


苦労して走り抜けていくと、やがて青々とした青空や田んぼが広がってきます。

新潟に入ると気候や家並み、天気が変わります。


会津よりも、蒸し暑い感じがします。





ここは、奥越後「妻有郷(つまりごう)」。

コシヒカリが生まれる青々した田んぼが広がり、
家々も来るべき冬の豪雪に備えた、特徴のある美しさがあります。


山形県からは、通常は、赤湯→小国→新潟県中条→越後川口という感じで新潟県に行けますが、
私が思うには、会津地方と越後の結びつきや歴史を感じながら、
風土や気候の違いも肌身に感じるならば、会津から「峠」を抜けていったほうがロマンがあると思うのです。

(でも、以前に、木賊→檜枝岐→尾瀬→奥只見沼→銀平山と、新潟県小出に抜けたときは、
かなり難儀しました。遠かったです。
まだ「六十里越」のほうが、会津から新潟へ抜けるのに道が容易です。
興味があるかたは、地図をご覧になってお楽しみください)




2004年8月8日撮影 魚沼スカイラインから、遥か彼方を見つめます。


私は、会津を抜けて、今 新潟県塩沢町の「魚沼スカイラン」に立っている。


六日町の魚沼米の田んぼと遥か遠くには、八海山や中ノ岳の魚沼連邦が広がっています。

ここは、日本の魂とでも言うのでしょうか、稲作民族としての原点があるかのようで、
初めて訪れたのにもかかわらず、なにかとても懐かしい郷愁を呼び起こします。

山形県とは、また違う素敵な素敵な とても雄大な風景です。

将来、大成功したら 十日町にでも別荘を持ちたいくらいになりました。





では、最後に 2004年の夏の思い出として、
妻有郷(つまりごう=奥越後の総称の呼び方)の一番南にある長野県との県境の「津南町のひまわり」
を紹介させて頂きまして、漢方コラムを終わりたいと思います。

たまには、漢方コラムでも 明るいイメージで、一般的な植物を紹介するのもいいでしょう。


今年の夏、2004年の「夏の思い出」は、「津南町のひまわり」で決定にしました。







2004年8月8日撮影 津南町のひまわり


貝津好孝先生の名著 「日本の薬草」より。
(貝津先生、いつもお世話様です。貝津先生は、福島県の先生です)


ヒマワリ(向日葵) キク科


別名:

ヒグルマ、ハナグルマ。

アメリカ原産で園芸用に栽培される。

いろいろな品種があり、八重咲きや2色のものもある。

中国では油をとるために大量に栽培されている。

上の写真は、福島県岩代町のものだが、これを見たとき、15年前に行った中国でバスの中から見渡す限りに植えられたヒマワリの地平に出会って驚嘆したことを思い出した。

これほどまでになぜ栽培するのか分からなかったが、あとで通訳に「油をとったり、炒って食べたりするのだ」と聞かされ納得がいった。


薬用部位:

種子(向日葵子)


薬効:

便秘、食欲不振、滋養


使用法:

果実の殻を除いた種子1日5〜10gを600ccの水に入れ、30分ほど煎じて3回に分けて服用する。

また、フライパンで炒って食べてもよい。

便秘はウサギの糞のような、ころころ便の人によい。

薬用とされる代表的な部位は種子だが、そのほかの部位にも薬効があるので紹介しておく。


花(向日葵花)は、めまいや顔のむくみ。

葉(向日葵葉)は、高血圧の予防。

種子の殻(向日葵殻)は、耳鳴り。

根(向日葵根)は、胃痛、便秘。

茎の髄(向日葵茎髄)は、尿路結石。

がく(向日葵花托)は、胃痛、腹痛、生理痛などによい。

この場合の1日の量は花2〜3g、葉、根、花托、茎髄各5g、殻3gを600ccの水に入れ、30分ほど煎じて3回に分けて服用する







越後の夏は、暑いんですね。

ひまわりって、夏なんですね。


会津も越後も、とってもいいとこです。


奥会津を抜けたら、奥越後があるんだなあ。

素晴らしいなあ。。


日本は、いい国だ。